年中行事
初詣<1月1日〜3日まで>
春秋例大祭<春季四月二十五日、秋季十月五日>
春秋の例大祭は、富山県知事・富山県議会議長参列のもと県民あげて齋行される最も重要なおまつりであります。春秋の例大祭が行はれるのは靖国神社のみでありますが、これは明治天皇の戰歿英靈の御靈によせられる深い思し召しであり、これに倣ひ全國五十二社の護國神社においても、春・秋両度の例大祭が齋行されるのであります。
神樂の夕べ<七月三十一日午後八時より>
万灯みたままつり前日の七月三十一日午後八時より、神前に神楽を奉納する行事。
奉納されます舞は、「みたま慰めの舞」「浦安の舞」「いでたちの舞」等であります。
万灯みたままつり<八月一日>
昭和20年8月1日米軍による「富山大空襲」(戰災日)のあつた日であり、富山市にとつて忘れ難い記念日に、二萬八阡六百七十九柱の戰歿御英靈、三阡余柱の戰災殉難者、さらに公務殉職者の御霊を、献灯あんどんにお迎へして慰霊顕彰報恩感謝する祭典。富山の夏の風物詩として廣く縣民に親しまれ、花火大會と相俟つて賑ひを呈してをります。
節分祭<二月三日>
一般的には立春の前日を節分とよんでゐますが、この日には一年間の無病息災を祈る節分行事がおこなはれます。この行事は、古くは中国でおこなはれてゐたものであり、わが国に伝来した当初は大儺(たいな)と呼ばれてをり706年に宮中で初めて執行されました。やがて追儺(ついな)と名称が変はり、室町時代以降は神社や民間にも伝はり、豆を撒きながら鬼を払ひ、福を迎へる祭事としておこなはれ、今日に伝へられてゐます。
どんぐり祭り<十月中旬〜十一月初旬>
戦後焼失した境内の樹木を取り戻さうと毎年四月に植樹祭を行つてゐる。そんな中で、もっと緑豊かな神社の杜を育て子供たちがドングリ拾ひなどを楽しめる社叢をつくらうとして行はれてゐる祭典。緑や樹木の大切さを感得してもらはうと、保育園児や崇敬會員とともに平成八年より毎年、十月中旬から十一月初旬に齋行してゐる。
天長祭<十二月二十三日の午前十時齋行>
天皇陛下の御生誕された日に、國民挙つてお祝ひ申し上げ、御皇室の弥栄、國家の隆昌を祈念する祭典。
紀元祭<二月十一日の午前十時齋行>
神武天皇の建國の偉業を偲び我が國の弥栄を祈念する祭典。
元服立山登拜
古来越中男子は、数へ年十五歳になると靈峰立山へ登拜することが慣はしとなつてをりますが、その美風が姿を消しつつあることは惜しむに余りあります。
又、今日、心の荒廃が進み、倫理観の欠如が蔓延してゐる一つの原因が、伝統文化行事を軽視したことに依るのではないかと思はれ、古来大切にして来た「元服立山登拜」を古式に則り復活し、大人に成長していく大切な時に、登拜を通じて感得した強い意志と自然と共に生ることの大切さを自覚しつつ、逞しく生き抜く精神を培ひ、健全なる青年に成長していただきたく実施いたしてゐる行事です。八月に、二泊三日の日程で行つてをります。
献茶式
富山縣護國神社では、四月二十二日に春季例大祭に先だち皇風煎茶礼式宗家家元により、煎茶をお供へ申し上げ、九月十七日秋季例大祭に先だち表千家家元により、濃茶と薄茶を献じてゐる。この両度の献茶式は、戰場で倒れられた英靈たちが、末期の水もいただけぬまま亡くなられたことに思ひを馳せ、故郷の清水で点てられたお茶を当代一流の茶人によつて捧げ奉るものであります。
青空のみの市
のみの市は、昭和五十九年十月七日(日)に第一回目が開催されて以来、原則として毎月第一日曜日(年間の開催日は別表に記載)に境内で実施されてをります。雨、雪等全天候にて開催いたし、歴史の古さや開催規模ともに富山縣下でも有数のものとなり、多くの方々に親しまれてゐます。