靖國神社 http://www.yasukuni.or.jp/
・東京都千代田区にある神社。幕末および明治維新以後の国事に殉じた人々の霊を合祀(がふし)する。明治二年(一八六九)東京招魂社として創建。四月と十月に例大祭、七月にみたま祭りが行はれる。
宮城縣護國神社 http://gokokujinja.org/
・青葉城内に鎮座する。明治37年(1904)、招魂社を建立したのが起源で、昭和14 年(1939)内務大臣指定護国神社として、宮城県護国神社と改称する。
伊達政宗騎馬像・荒城の月碑(土井晩翆)・島崎藤村詩碑・日清戦争記念慰霊碑の昭忠碑(明治35年建立)等がある。
栃木縣護國神社 http://www.gokoku.gr.jp/
・栃木県護国神社の前身「宇都宮招魂社」は、明治5年(1872)年11月に、旧宇都宮藩知事(最後の藩主)戸田忠友をはじめ旧藩士・有志の人々により創建。
国神社や全国の護国神社と同じく、国家公共に尽くされた英霊に感謝するとともに、郷土・国家・世界の繁栄と平和、人々の幸福を祈る場です。
茨城縣護國神社 http://www.sakura559.net/s220.html
・茨城県護国神社は、永遠の平和と隆昌とを願ひつつ、日本民族を守るため尊い生命を国のために捧げられた人々の御霊をお慰めしようとする、全県民の深い敬愛と尊崇の念が結集して、昭和16年11月水戸桜山の現在地に創建。
御祭神には幕末から明治維新以来、日清・日露の戦役、大東亜戦争に至る事変戦役等において、国事にたふれ護国の礎となられた茨城県出身の63,494柱の戦歿者の英霊をお祀り申し上げてをります。
群馬縣護國神社 http://www.geocities.jp/gunmagokoku/
・群馬県護国神社は、昭和16年(1941)高崎市に創建。
群馬県では、日露戦争後に群馬県犒軍会が創設され、これが群馬県招魂会と改称し、高崎公園内に英霊殿を設けて、明治維新以来の県内戦死者や歩兵第十五聯隊に属して戦病死した者の霊を合祀して、招魂祭を行つてきた。
千葉縣護國神社 http://www.jin.ne.jp/gokoku/
・千葉県護国神社は、明治天皇の深い思召を以て、明治11年1月27日、初代県令柴原和が発起となり、
一身を捧げて国難に殉ぜられた人々の勲を永く顕彰し、そのみたまをお慰め申し上げるために
千葉県庁公園内に千葉縣招魂社として創建。
長野縣護國神社 http://www.e-office.gr.jp/gokoku/
・昭和13年県民の総意により松本市美須々市に仮殿が創建され、昭和14年3月長野縣護國神社と改称。長野県出身の明治戊辰の役以来大東亜戦争に殉ぜられた御霊神を奉斎。
福井縣護國神社 http://www.fukuigokoku.jp/
・昭和14年の内務省令を受け、明治維新の志士・橋本景岳(左内)先生をはじめとする、郷土福井県ゆかりの戦没者の御霊をおまつりする為に、昭和16年3月に創建。
明治維新以来、日清・日露の両戦役から大東亜戦争に至る3万2千余柱の英霊を護国の大神様、平和の大神様としておまつり申し上げてゐます。
愛知縣護國神社 http://www.aichi-gokoku.or.jp/
・愛知県護国神社は、明治八年「招魂社」、同34年「官祭招魂社」、昭和14年「愛知縣護國神社」と改称、戦後一時「愛知神社」と称したが、同30年現社名に復称。
鎮座地は、大正7年現在の名古屋市北区名城公園、昭和10年に現社地に御遷座。
愛知県ゆかりの御英霊九万三千余柱を、護國の大神としてお祀り申し上げてをります。
大阪護國神社 http://www.h4.dion.ne.jp/~gokoku/
・昭和十二年、日華事変が起るや国民の間から、殉国の英霊に崇敬報謝の誠を捧げ、御遺徳を永く追憶しなければならないとの気運が興り、その至誠が凝結して遂に大阪護國神社を創建。
御鎮座後、皇室の御崇敬は極めて厚く、昭和四十五年七月十五日に天皇皇后両陸下の御親拝を仰いだのをはじめ各宮殿下の御参拝も多く、参拝の人々も年と共に増加して御神威はますます輝かしく仰がれてゐる。
広島護國神社 http://www.h-gokoku.or.jp/
・広島護国神社は、明治元年十一月、明治維新の戊辰の役において陣没された高間省三命以下七十八柱を、二葉の里に新しく造営された「水草霊社」に奉祀されたのが創建。
以来、大東亜戦争に至るまでの幾多の事変戦争において、戦没されたご英霊およそ九万二千余柱の神霊をお祀りしてゐる。
宇部護國神社 http://www.pasokiti.co.jp/users/gokokujinja/
・慶応二年(1866年)11月山口県宇部市維新山に創建、第一次長州征伐回避の為、禁門の変の責任をとらされ自刃された藩三家老の一人宇部領主福原越後翁を主祭神とし、禁門の変で越後翁に従つて出兵され戦死された22柱の御霊が合祀されて「維新招魂社」と命名され、神社の紋には、福原翁の「かたばみ」が用ゐられた。銃弾に縁深く『願掛け弾』や『願ひ玉』が有名で、多くの人が願掛けや願玉を求めに来られます。