富山県護國神社とは
御英靈としておまつりしてゐる神社です。また、境内には富山縣鎭靈神社がお鎭まりになつてゐますが、この社には昭和二十年八月一日深夜に始まつた、米軍による「富山大空襲」による無差別空爆により、戰災死された御靈と公務殉職者、神社関係者の御靈をおまつりしてをります。
富山県護国神社のご由緒
その後内務省、護國神社令により昭和十四年四月一日「富山縣護國神社」と改稱し、間もなく奉賛會が結成され、縣民あげて奉賛されてきました。
しかし、昭和二十年八月一日、米軍の空襲により富山市を中心に火の海と化し當神社も手水舎を残して全て焼失してしまつたものです。その後、昭和二十二年四月十三日、富山縣鎮靈神社と改稱、同時に奉賛會が結成され、同年十月二十一日仮社殿竣工、昭和二十六年十月二十四日、富山縣護國神社と復稱、翌二十七年十月二十六日富山縣護國神社奉賛會を結成するに至り、さらに焼失した御社殿を復興するため、昭和二十八年、富山縣護國神社建設委員會が結成され、昭和二十九年十月二十日、現在の社殿の竣工をみたのです。
その後、昭和五十年八月一日、終戰三十周年記念事業として、戰災殉難者、公務殉職者、縣功労者の御靈を祀る富山縣鎭靈神社を御造営し、さらに、昭和五十七年十月御創建七十周年記念事業として、新社務所、屋外便所、南玉垣、南鳥居等の竣工をみました。又、平成四年十月御創建八十周年記念事業として大拜殿、北・西側の玉垣造成をなし、平成七年八月、大東亜戰争終戰五十周年記念として臨時奉幣大祭を斎行。
併せて遺芳館を建設し、更に、平成十四年十月四日、御創建九十周年記念事業として本殿大修復を終へ正遷座祭を斎行し現在に及んでゐます。
伊佐雄志神社ご由緒
當神社は戰災により、焼失。仮社殿のままささやかにお祭りを續けてきたのでありますが、終戰三十年を迎へるにあたりその記念事業として復興御造営を實施することになり、昭和五十年二月には富山縣鎭靈神社御造営奉賛會を結成し、縣民皆様に深い御理解と御協力を賜はり、同年八月一日に芽出たく御造営竣工いたしました。
そして、平成二十二年九月名称を「伊佐雄志神社」と改称。「いさをし」とは漢字を宛てれば「勲」「功」、つまり「公の為に、或るは家の為に、雄々しく努め励み、功績を挙げる」意味があり「伊佐雄志」はその万葉仮名での表記にほかなりません。
護國神社の御英靈とともに伊佐雄志神社の御靈等のことも忘れてはならないのであります。