御英靈のお話2 山平賢蔵 命

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昭和十二年十月七日、中支戴家巷方面にて被弾、翌八日、野戦病院にて戦死
富山市安野屋 三十六歳

遺芳館アナウンスガイド2
陸軍少尉 山平 賢蔵命(やまひら けんぞうのみこと)
 
 明治三十五年三月三日生
 大正十二年一月十日 歩兵第六十九聯隊機関銃中隊入隊
 昭和十二年十月八日 支那事変須宅の戰闘にて戰死
 富山市出身 三十六歳


 山平賢蔵命の長男賢一氏は、昭和六年三月三十一日生まれとなつてゐますが、戰死を覺悟してをられた父である山平賢蔵命が、長男賢一氏の小学一年生の姿を早く見たいとの思ひで、出生を、一週間早めて届けを提出されたさうです。賢一氏は、一学年早く入学されたものだから、大変な思ひをされました。しかし、その一念にて我が子の小学一年生の姿を見ることができ、その年十月八日、第五分隊長に「敵ヲ倒セ・後ヲ頼ム」との一言を残して、見事に戰死されたのです。
 賢一氏は、五福の練兵場へ友達と遊びに行つた時、休憩中の兵隊に機関銃を撃たせてもらひ、その時の衝撃が腹にまで響いたのを、今も鮮明に覚えてゐるさうです。
 又、小学校に入学した時、朝、父を迎へにきた当番兵が、父を送る前に賢一氏を馬に乗せ、近くの安野屋小学校まで送つてくれたこと。聯隊橋(富山大橋)の安野屋寄りの所で、夕方、父の帰りを待つてゐたことなど、遠い記憶として今も思ひ出されるさうです。
 子を思ふ親のこころの深さを感じるエピソードです。下の手紙とともにご覽下さい。
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