遺芳録發刊にあたりて

遺芳(いはう)を萬代に傳(つた)へむ
         ―發刊にあたりて

宮司 栂野 守雄


 この世の中で、我身を捨てて國家のために盡(つく)すといふことほど崇高(すうこう)な精神はありません。日毎二萬八千六百七十九柱(はしら)の御英靈(ごえいれい)にお仕へ申し上げてゐて、自分自身が忸怩(ぢくぢ)たる思ひに驅(か)られるのは、「遺書」を通してその御精神の尊さを強く感じた時でひを持つに到つたのは、昭和五十年六月に、白木の箱から出てきた高田豊志(たかだとよし)命(みこと)あります。
 この大切な遺書・遺品を保管展示する「遺芳館(いはうくわん)」を建設しておかねばならないといふ思の『うたにつき』を拜見した、この『うたにつき』に込められた精神は、當時の日本國を代表する一國民としての最高の御精神であると深く感動したのであります。その後次々と現はれてくる遺書を拜讀(はいどく)する毎に『遺芳録(いはうろく)』發刊も大切な使命である、即ち、形を代へた「祭祀(さいし)」ではないのかと感じ始め、創建九十周年記念の代表的事業とさせていただいた次第であります。
 又、僅か十五歳の少年が、海軍に志願するけれど體軀(たいくわく)が規定に達せず、その爲(ため)二度も不合格とされたことへの無念さ、それにも増して「國のために盡(つく)す」といふ信念の強さとの心の葛藤が、「血書(けつしょ)」を書かせ、それを氏神(うじがみ)さまへ数十度奉納せしめ合格を祈願され、美事(みごと)合格、海軍上等水兵として、昭和十九年七月八日、マリアナ諸島にて戰死された、西藤武信(さいとうたけのぶ)命(みこと)のみこころは、今の規準では理解することの出来ないこととなつてしまつてゐることに私は大きな不安と不満とを覺(おぼ)えるのであります。
 もう一つ遺書を拜讀する時感じることは、文字が立派で嫌(いや)みや衒(てら)ひが少しもないと云ふことであります。その美しさは書道家と稱される方とは比べやうがない清々(すがすが)しさであります。それは言ふまでもなく我身を捨てて國家の爲に盡すといふ精神から生れ出るからなのでせう。更に感じることは、文章の正確さであります。かな遣(づか)ひはもとよりのこと、自分の意志をしつかりと傳(つた)へてをられ、その裏にご両親の養育の深さを感じ、更に御英靈の親を思ふ子としての又、人の親或いは夫としての最後の心の暖かさが拜讀する者にもしみじみ感じとることができるのであります。
 この『遺芳録』を通じ、御英靈の崇高なるご精神を學(まな)びとつていただきたく存じます。そして、戰後五十有餘(よ)年の日本精神解體の歴史を深く反省し、今こそ我國としての主體性を取りもどすことが跡を継いでゐる者の最も大切な仕事ではないかと考へるのであります。この『遺芳録』に収めた遺書や日記類は、ほんの一部ではありますが、御英靈のみこころを傳へるに餘(あま)りある貴重なものと確信してをり、全ての御英靈のみこころとして受けとめていただければ幸ひに存じます。
   平成十三年四月二十九日



富山縣護國神社
富山県富山市磯部町1-1 TEL:076-421-6957 FAX:076-421-6965
copylight © 2007 toyama-gokokujinjya all light reserved.