昭和二十年六月六日
沖縄洋上にて特攻戦死
陸軍特別操縦見習士官
富山市鹿島町二十三歳
「備忘日記」より
〔昭和二十年六月三日夜〕
作戦命令下る、万世飛行場に明朝出発。
あわたゞしい中に最後と思つてペンを取る。
書くことがいつぱいある様で何を書いていいのやら。
園部隊長不時着して同行出来ず。身不肖なるも隊長代理を命ぜられ重任両肩にかゝる。願はくば大業見事完成出来得んことを。
ここあし屋(・・・)の町は“海を渡る祭礼”の港町のそれと同一なり、ふくよかになつかしき思あり。
思ひはめぐる三千里
あれこれと昔のことがしのばれる、女々しきにはあらず楽しき過去の追憶なり。
半田のこと
名古屋のこと
富山のこと
父上様
母上様
色々有難うございました。別に云ふこともありません。唯有難くうれしくあります。最后の時まで決して御恩はわすれません。月なみなことしか出て来ません。
姉妹の皆さん
いよいよ本当にお別れ。
今でも例のごとくギヤーギヤーみんなとさわいでゐます。
哲学的な死生観も今の小生には書物の内容でしかありません。国のため死ぬるよろこびを痛切に感じてゐます。
在世中おせわになつた方々を一人一人思ひ出します。時間がありません。
ただ心から
有難うございました。
辞世
春風に咲いた桜の咲くまもあらず
唯君のため散るをよろこぶ
同封の通帳よしなに御処分下さい。
津川、坂本、森野、岩永の諸家にくれぐれもよろしくおつたへ下さい。
笑つてこれから床に入ります。
オヤスミ
六月三日二十三時
黒表紙の手帖より
〔六月五日〕
あんまり緑が美しい
今日これから
死に行くことすら
忘れてしまひさうだ
真青な空
ぽかんと浮ぶ白い雲
六月のチランは
もうセミの声がして
夏を思はせる
〔作戦命令を待つてゐる間に〕
“小鳥の声がたのしさう
俺もこんどは
小鳥になるよ“
日のあたる草の上に
ねころんで
杉本がこんなことを
云つてゐる
笑はせるな
本日一四、五五分
いよいよ知ランを離陸する
なつかしの
祖国よ
さらば
使ひなれた
万年筆を
“かたみ”に
送ります。
枝幹二命が最後の書を書かれた万年筆。早稲田大学時代文学青年と言はれ、知覧の基地においても、少年飛行兵から兄のやうに慕はれ、多くの詩文を残してをられる。この万年筆は、末の妹さんが大切に保管されてゐたものを遺芳館へ奉納。
㊟整備兵の筆により「六月五日は暴風の為中止となり六月六日となつた」
と加筆されてゐる。六月六日十六時沖縄洋上へ出撃。再び帰らず。