昭和二十年四月十六日
沖縄洋上にて特攻戦死
海軍甲種飛行予科練習生第十期
上平村出身
【山崎庄五郎様宛封書】(発信地・鹿児島県串良航空基地)
拝啓
暫く御無沙汰仕り失礼仕りました。皆々様其の後如何にて御暮し遊ばされますや御伺ひ致します。降(くだ)りて不肖私事相変らず頑健にて軍務に邁進致して居ります故何卒御休心下さい。
早くも暖かき春が訪づれて参りました。田舎にてはもう雪もとけてまた〱忙がしい日が続く事と存じます。陽光うらゝかなる北陸の山□に在りし日の鍬を振つた其□□がなつかしく思ひ出されます。
今は皇国の前途をかけた□□□□全力振つて健闘致して居ります。重き使命を双肩に担ふこの光栄ある身となりて、誠に男子の本懐と我が身を幸福に存じて居ります。尚最近畏き極みながら有難き思召しを戴き、たゞ感涙身をかうまうの軽きに比して一死忠誠を誓ひ、頑敵必ずや打滅さんと覚悟を決めました。
今日も亦出撃。今度こそは帰り来ぬ決心で機上の人となり□□□□ねて、まだかうして基地生活を送つて居ります。
出撃前にうつした写真を同封にて送ります。尚後から私の一人の飛行服姿の写真を送らうと存じて居ります。
神戸の叔父叔母上様には其の後お変りありませんか。お伺ひ致します。兄上や妹達も元気で居られる事と存じます。何卒よろしく御伝へ下さい。
あの日、雪の中を故郷を後にしたまゝ何がさせる故か、遂に生れの土を踏む事を得ませんでした。其の間五年。御両親様始め皆々様に何の為す所もなかつた事が残念の至りです。深く〱お詫び致します。然し奥深き山村に生を享けて、晴れ□日本海軍の搭乗員として戦へる此の境遇を思へば又嬉しさ身に余り、短かき一生乍ら、今まで育て下さつた御両親様に厚く感謝致し併せて海軍に入るまで、又入つて後からの方々の尊い御教へに感激致して居ります。
皆々様の御恩に応へて大に奮戦致し、御心を安んぜむべく努力致します。
爆音高く今日も亦南の空□□□□
ではお元気で。
さよなら
憲進
御両親様
今日ぞ晴れての出撃。
征きて帰らぬ特別攻撃隊
愛機天山に万朶(ばんだ)と咲ける桜花さして、今ぞ征く。
天桜特別攻撃隊
我が天桜隊の征くところ、敵空母忽ちにして轟沈せん
夢の故郷よさらば
同胞よ健かなれ、後に続け。
先輩は待つ、そして俺も待つてゐる。
勝利の日まで頑張らう。
父母上様永らく御世話に相成りました。在所の方々にも、又、恩師岩瀬先生にも宜敷く御伝言下さい。
さよなら
四月十六日
あの隊長もあの友も 壮烈空に散つたのに 不覚や俺はまだ生きのびて 椰子の葉かげで月になく 友よ見てくれ体当たり
愈々これが最後です 父様母様お元気で 白木の箱が届いたならば たいした手柄はたてないが 泣かずにほめて下さいな
鴻毛(かうもう)・・・鴻の羽毛。その如く己が身を軽く看做して、君国の為に死をも辞さず尽すこと。