野村 勇 命

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昭和二十年六月五日
飛行訓練中殉職
海軍甲種飛行予科練習生第十三期生
富山市奥田

【野村ソメ様宛葉書】18.11.22(発信地・美保海軍航空隊第十二分隊第四班)
拝復
 向寒の候
 お母さんお便り有難うございました。いつもながらの御鄭重なる御激励の御言葉、自分は有難く拝見致しました。
 自分は相変らず身体強健にて毎日帝国海軍航空兵の一人として修養に邁進して居りますから何卒御放心下さい。
 前日専福寺の先生からも御厚き激励の御手紙を受け取りました。
 自分はつくづくお母さんお祖母さんの恩を筆舌に尽せざる事を感知致しました。そしてお母さんや先生の御期待に必ず応ふやうに勉学に体育に誠心誠意やり抜く決心で御坐います。
 自分は自分の確信する方向へ脇目もふらず唯一筋

【野村ソメ様宛葉書】18.12.31 (発信地・同前 以下三枚一組)
(一枚目)
 厳寒風吹きまくり雪乱舞し寂寞感身に沁みる候となりました。
 お母さんには永らく返事も出さず御無沙汰に打過ぎ申し訳有りません。
お母さんには其の後益々元気旺盛寒い中にも毎日欠かさずお勤めの事と存じます。自分もお母さんには絶対負けない心得で昼夜奮闘頑張つて居ります。便りに依れば家内皆元気で仲良くお暮しの由、自分は何よりと喜んでゐます。
戦死した父の遺志を継いで立派な航空兵となり、家名を大いに挙げる覚悟で益々頑張り、越中男子の意気を発揮致しますから、何卒お母さん、安心して下さい。
又お母さんも非常に忙がしい由、余り元気にまかせて無理をなさらない様にお体に気を附けて決して病気にかゝらない様に呉々もお願ひ致します。
それから貢ちやんに此の非常時に時局にそふ様な立派な小国民として(二枚目)恥ぢない頭と体と精神とを作つてやつて下さい。お姉さんと心を合はせ、お祖母さんを大切にして隣組の皆々様と一心同体協同して、自分の居ない留守中に銃後の守りをしつかりやつて下さい。
みのる程 頭の下がる稲穂かな
何事にも此の歌の精神で突き進む覚悟です。甲種飛行予科練習生として決して恥ぢない者になり、一死報国、君恩に報ゆる決心です。今や時局益々重大的を加へ、戦局いよいよ拡大されつゝ有る時、自分等航空兵の任務が増大されて来ました。米英を撃滅するのは我々でなくて誰がやるでせうか。断じて米・英撃ちてし止まむの精神で、之からも益々頑張りますから、お母さんも何卒御安心下さい。
永らくお母さんの膝元を離れて居ると、実にお母さんの海山よりも尚広大な御恩がしみ〲と感じられます。
天皇陛下の御為に立派に身命を投げ打つて働き忠節を尽しましてお母さんの御恩に報います。
 事し有らば火にも水にも入りなむと
    思ふがやがて大和魂
此の御製を毎日口ずさんで、五ヶ条の精神に副ふ様に猛訓練にいそしんで居ます。今年も後数日で終らんとして居ます。年末を迎へ一層緊張努力し、良い新年を迎へようと思つて居ます。
お母さん、自分は居ませんが、一家そろつて仲良く楽しく新年を迎へて下さい。懐かしいカルタ取等色々思ひ出多々有ります。
お父さんの写真に自分に代つて毎日挨拶して下さい。
色々書きたい事は山程有りますが、時間が有りませんからこれで筆を止めます。
時局益々重大さを加へて居る現今、正月を眼前に迎へんとしてお母さんお祖母さんお姉さん貢ちやん健康でお暮し下さい。
さやうなら
                         乱筆草々

撃ちてし止まむ・・・神武天皇御東征の折に歌はれた日本最古の軍歌とも云ふべき歌にある言葉。「断乎として討ち平らげてしまはう」の意

事し有らば・・・明治天皇御製。明治四十年の御作。

【野村そめ(ママ)様宛葉書】19.3.15(同部隊第十四分隊第五班)
 春暖漸く催し候処
 お母さん本当に無音に打過ぎ申し訳有りません。しかし自分は相変らず元気で暮らして居りますから、何卒御安心下さい。三月八日の意義ある日、分隊対抗の一万米駈足競技が開催されました。敢闘精神、予科練魂を発揮して見事優勝しました。
 今度美保ヶ関神社へ行軍に行きました。此の絵葉書は其の記念です。貢も元気で居る事でせう。元気で靖国神社へ対面に行かれん事を祈つて居ります。
 関西旅行のみやげもの有難く、大切に読んで居ります。家中一同皆仲良く明朗に暮して下さい。お母さんもいつまでもいつまでも達者で居て下さい。
 又ゆつくり便り致します。
 さやうなら
       草々

【野村ソメ様宛葉書】19.4.13(同前)
謹啓
 陽春の候と相成り候処、お母さんお元気ですか。愈々御壮健にて毎日勤行の事と拝察致します。私は益々元気旺盛頑健にて軍務に精進してゐますから、何卒御放念下さい。
 今では早や飛行兵長に進級し、予科練最上級生として責務の緊要重大なる事を痛感し、今後益々奮闘努力する事を決心して居ります。
 お母さん、余り働き過ぎて無理をしない様に、又風邪を引かない様にお願ひ致します。自分は必ず立派な帝国海軍の搭乗員となつて見せますから、お母さんには決して病気にならない様に。自分は、お母さんが病気人なると一番困りますから。勇も予科練の歌に恥ぢない様に頑張ります。
 お母さん始め一同の御健康を祈りをります。
 さやうなら
                            敬具
予科練の歌・・・西條八十詞 小關裕而曲
1、 若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ霞が浦にやでっかい希望の雲が湧く
                                       (別名「若鷺の歌」四番まで有り)


【野村ソメ様宛葉書】19.6.6(発信地・同前 三枚一組)
(一枚目)
拝啓
 尚武の風薫る早苗月の頃と相成り候処、お母さんには其の後愈々御清福の由、心より喜び居ります。勇も益々勇壮そのもの、一身を抛つて君恩に報ゆる為、尽忠報国の一念に燃えて一意専心日々の訓練を愉快に過ごして居りますから何卒御安心下さい。
 実に鄭重御懇篤なる御教訓を色々と賜り、帝国海軍軍人としての使命を深く〱自覚
(二枚目)し、勇気勃如たるものが有ります。畏れ多くも天皇陛下が軍人をして股肱と頼ませ給ふた所以は、己を忘れて奉公する所に有るのではないかと思ひます。斯の如く御信頼遊ばさるゝ軍人になると云ふ事は日本帝国の国民として、これ以上の栄誉はないです。今後尚一層奮励努力以て我が家の名を輝かさんと願望致し居ります。
 前日○日間の野外演習を終へ無事帰
(三枚目隊致しました。演習地は名高い大山原にて行なはれました。毎日の演習にお母さんの教訓を思ひ浮かべてうんと頑張りました。第○日目には夜間演習も有り、勇の大隊は攻撃軍で夜襲を決行大勝致しました。又○日には昼間宏大なる大山原に昨夜来の濃霧にて一尺程先は白煙に包まれた如くでした。かゝる中に敵の攻撃を待ちつゝ勇壮なる感にみたされながら、ふと水鳥の羽搏きの音に驚きて逃走せし
(以下欠落)

水鳥の羽搏き…源平合戦富士川対陣の折、たゞでさへ源氏優勢の形勢に軍監藤原忠清は退却さへ主張してゐた。その矢合せ(開戦に当り両軍から鏑矢を射合ふこと)前日、十月二十三日夜半、何に驚いたか、突然飛び立つた水鳥の大群の羽音を、源氏軍の夜襲と勘違ひした平家軍は大混乱、大潰走。翌二十四日、源氏軍が富士川に押し寄せた時には既に平家の方はも抜けの殻、鎧や大幕、そして踏み潰された兵士や遊女の屍が散乱するのみであつた。「平家物語 巻第五 第四十八句 富士川」より要約。


【野村ソメ様宛葉書】19.6.23(発信地・同前 二枚一組)
謹啓 前略
(一枚目)
 お母さん御元気ですか。帰省中、お母さんの昔の様な暖い愛の懐に抱かれる事が出来て、不肖勇は世界一の幸福者なる事しみじみと痛感致しました。思ひ返せば日支事変勃発直前護国の華と散り給ひし九段靖国の社に鎮ます御父君の現世当時さほど感じはしなかつたが、父亡き後お母さんの山海等比すに足らぬ宏大な恩愛に
(二枚目)感激の涙にむせびました。今又父母郷里を離れて生活すると一しほ親の恩の有難さを感じました。
 万邦比類無き皇御国の古代からの信条“忠孝一本”此の大道に向かつて勇は一途邁進致す決心です。一日も早く無敵荒鷲となり、お母さんを安心さして上げるのを楽しみに、日々予科練訓練に愉快に精進し居りますから、何卒其の点御安心下さい。

御父君野村秀一命は昭和十三年十二月十九日、中支崇陽県(マダレに由)舗に於て戦死された。



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