梶原正雄 命
昭和十九年九月三十日
中部太平洋マリヤナ島にて戦死
中新川郡雄山町大清水出身 二十三歳
遺言状
正雄儀
今征途に就かんとす。
生を享けて二十三年、父母の慈愛は我を健かに成人させ、御国の戦野に召される身の光栄を如何ばかり喜びなん。
噫(ああ)父母の恩ぞ山よりも高く海よりも深きか。正に筆舌に尽し難し。
庶幾(こひねが)はくは老の身を末永く保たんことを祈る。
長兄は我幼少より何呉れとなく面倒を見、殊に徴兵として入営以来の熱い誠には只感激するのみ。これぞ幹部候補の試験に発奮させし原動力とも謂ふ可き。
此の努力と熱こそ終生去り難きものあり。その他諸兄姉は夫々別れての生活なれど爾来教へし訓戒と面倒こそ大なり。
此の上は兄弟一心同体となり老いたる両親の世話を頼む。
今ぞ君の下に馳せ家のため奮闘の秋(とき)ぞ至れり。戦の庭に潔く散る武人の覚悟も不肖正雄の心に在るを誓ふ。
噫(ああ)只心の躍るを知る。
幸運の正雄―武功を待ち居られ度く。
今此処に筆を借りて御恩を謝し徒然なる思ひを遺す。
呉々も老いたる父母を頼む。
昭和十五年九月五日
三男 正雄
梶原家
御一統