高井浅則 命
昭和二十年五月十二日
沖縄本島那覇方面にて戦死
富山市水橋中村町出身 二十三歳
【高井幸雄様・幸子様宛葉書】(発信地・広島・宇品)
幸雄サンモ幸子サンモ元気ですか。兄サンも元気で働いて居りますから安心して下さい。
此の頃家から手紙がこないが、何か有りましたか。心配してゐますから、幸子手紙を下さい。
よく勉強して元気で居て下さい。
さやうなら。
【高井幸子様宛葉書】(発信地・広島・福山)
幸子さん元気ですか。兄さんも元気で働いてをります。幸子さんは兄さんが居なくなつても元気で勉強して、お父さんやお母様に孝行して兄さんの分まで孝行してあげて下さい。又幸夫をかはいがつてやつて下さい。一生懸命に勉強して偉く成つて下さい。さやうなら。
【高井文助様宛葉書】(発信地・沖縄・那覇)
前略 酷寒の砌、其後皆々様にはお変り無くお暮しの事と思ひます。浅則も元気で精励頑張つて居ります故他事に御休神下さい。皆様のお蔭を以ちまして浅則も病気一つもせず、毎日を勤務致し居ります。
当地の銃後の皆様も勝つ為に頑張つて居られる事と思ひます。一億一心心を合し米英撃滅する日まではお互が助け合つて行く事です。私達戦友も手を握り合ひ乍らも生死は共○と励まし合つて居ります。生還は期して居りません。皆様方御長命の程南の空より御健康を祈つて居ります。
一同様に宜しくお伝へを。