藤井喜治 命

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昭和十八年七月二十日
ソロモン群島にて戦死
福光町出身

【御両親様宛封書】
 愈々待望の前線出動の日が来た。
 大東亜戦争開戦以来丁度満一ヶ年、今や吾々はこの記念すべき一周年を迎へんとしてゐる。
 思へば去年、海南島の一角で開戦のニュースを感激のうちに聞いてから、輝かしい前線の戦果をきゝ乍ら、只管出撃の日を待つた。
 其の日が来たのである。欣快に堪へない。
 嘗て私は、この様なものを書き残した事はなかつた。しかし、今
度の戦争はこれまでの支那事変とは趣が異ふ。敵は富強を誇る米英
である。併(しか)も吾が海軍に託された任務は重且大であり、我々も前線に出る以上、生還は無論期すべくもない。歳老いた御両親に対しては誠に気の毒ではあるけれ共、且之が即ち忠であり孝でもある。後事を託する兄弟のない事は心残りであるが止むを得ぬ。私としては何の意見もないけれ共、甥・姪のうちから適当な者を呼んで、家を継がせるのが至当ではないかと思ふ。
 其の他細事に渉つては、別に申し上げる事もない。小さい時から至極幸福に過して来た。そして入団後も何等後顧の憂なく勤めて来た。この事は誠に感謝に堪へません。
 現在の心境は実に淡々として、明月の如く清らかである。

     海行かば水漬く屍
      山行かば草むす屍  大君の
     辺にこそ死なめ のどには死なじ

 古歌は私の心境を遺憾なく歌つてゐてくれます。
甚だ乱筆で申し訳ありませんが、之にて筆を擱(お)きます。
 遥かに聖寿の万歳と御両親の御多幸を祈つて止みません。
  昭和十七年十二月七日
             藤井喜治
   御両親様

支那事変…昭和十二年七月の藘溝橋事件に端を発した日支の紛争。「事変」は、宣戦布告なくして行はれる国際間の武力行使。

のど…平穏無事。
「古歌」は大伴家持の「陸奥国(みちのくのくに)より金(くがね)を出(いだ)せる詔(みこと)書(のり)を賀(ことほ)ぐ歌」で、その長歌の一節に「海行かば云々」があり、そこには「辺にこそ死なめ、かへりみはせじ」となつてゐる。「のどには死なじ」は、家持の長歌のもととなつた。詔書(聖武天皇の「陸奥国より黄金を出せる時下し給へる宣命―天平二十一年」)の一節の文言である。

聖寿…天子の御寿命。「聖寿万歳」とは「天皇陛下万歳」のこと。



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