小泉庄一 命

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昭和十九年四月十六日
ビスマルク諸島方面にて戦死
小矢部市津沢出身 二十四歳

【小泉庄蔵様宛封書】
前文略
先日もいろいろいそがしい所を有難う御座居ました。来月始め頃に面会に来る様に言つて居られましたが、もし来られるのでしたら、四月三日外出で午前十一時頃会人館(集会所)迄引率して来て解散するのです。それでもし来られる様でしたら、四月三日に来て下さい。
では御知らせ迄
  S17 三月二十五日          庄一より
  
 
 【小泉庄蔵様宛封書】
拝啓
先日も忙しい所を有難う御座居ました。其の後も皆様には御変りありませんか、御伺ひ致します。私は相変らず達者にて軍務に服して居ますから何卒御休心下さい。私達も海兵団生活も終りに近づいてまゐり、愈々十五日は修業式です。これで私も漸く一人前の軍人になれたわけです。この上は軍艦乗組を一日千秋の思ひで待つてゐるです。この封筒の中の写真は先月二十一日に写しましたのです。私の軍人になつた姿をお目にかけようと思つたそのせゐか、固くなつたので土人形の様な感じです。皆んなで御笑覧下さい。皆様時候柄御身大切に願ひます。
次の便迄。
昭和十七年四月十四日   舞鶴海兵団 小泉庄一
 
今日大浦さんから金を二十円戴きました。午前は乗艦の発表があり、私は○○に乗艦することになりました。では行つて来ます。さよなら。
 
 
海兵団・・・海軍下士卒の教育・訓練及び軍港の守備を掌り、補欠員を統括する所。
 
 
 【小泉庄蔵様宛封書】
 拝啓
 先日も御手紙有難う御座居ました。御両親様始め御一同様には御変りも無く御悦び申上げます。私は元気で居ますから御休心下さい。私達は○○艦に乗組する為、数日前から表記に仮入団致して居ます。一日も早く乗組の日を待つて居ります。では当分の間、御無沙汰を致しますかも知れませんが、御許し下さい。
 暑さに向ふ折柄御身を大切に御願ひ申し上げます。
   S17  四月二十日       小泉庄一
  皆々様へ
 
 
 【小泉庄蔵様宛封書】
拝啓
其の後長らくの間御無沙汰に打過ぎ失礼致しました。御許し下さい。二月十日に慰問袋を戴きまして洵に難有う存じます。其の後皆々様にはお変りも有りませんか、御伺ひ致します。
私は元気に〔注・およそ十五字分墨塗り抹消〕の警備にあたつて居りますから御安神下さい。利雄は十二月帰省致して行つたさうですね。□さんも今度子供が増えるとの事ですね。赤道南下ではこれから少し涼しくなつて行きます。土人たちは真黒な体をしてラプラプ(腰巻)一つで道を歩いて居ります。ここにはバナナ、パパイヤ、ヤシ等は一年中なつて居ります。又、野さい等も色々と産します。御地もこれからだんだん暖くなるでせう。では皆々様御身大切にして下さい。
昭和十八年三月十日    小泉庄一
 
 
 【小泉庄蔵様宛封書】
拝啓
其の後ながながの間御無沙汰に打過ぎ失礼致し御許し下さい。皆々様にはお変りも有りませんか、お伺ひ致します。
私は数千里の波涛を越えて、今赤道南海の島に警備をして居ります。内地もそろそろ田植の頃と思ひます。赤道下、此の地方では日中の暑さは特別で道は焼けつくやうです。島は珍らしい熱帯植物が生ひ茂つて居ります。昼は時々熱帯特有の猛雨が来る。夕立の様なものだが、その猛烈なことと云つたら、とても内地に於ける様な生やさしいものではない。
昨日は新聞を受取りました。色々と有難う御座居ました。次第に暑さが甚しくなりますから、どうぞ御身大切に。
昭和十八年四月二十九日    小泉庄一
 
 
 
 【小泉庄蔵様宛封書】
 拝啓
 小包受取りました。忙しい所誠に有難う御座居ました。其の後皆々様には御変りも無く喜んで居ります。小生も御蔭にて達者にて軍務に励んでをりますから御休心下さい。小生は五月に海軍上等水兵となりました。今後はますます軍務に励む覚悟であります。四郎平さんの貞二さんも出征されたとの事、中々お忙しい事でせう。
 内地もそろそろ西瓜、トマトも出る時分ですね。南洋では夏冬無しに一年中産して居りますからいつでも食べられます。今では○○の○○も少なく、原住民も一日々々と幸福な道に進んでゐます。原住民達は毎日々々元気よく皇軍の手伝をして居ます。小生も入隊してから一年半になりますね。
 では皆々様御身を大切に銃後をお守りお願ひ致します。
   S18 六月十八日     小泉庄一より
 
 
 【小泉庄蔵様宛封書】
拝啓
随分心にも無き御無沙汰に打過ぎをり悪しからずお許し下さい。皆々様には相変らず達者にて銃后を守つて居られることと想ひます。私も相変らず元気にて○○守備に就き居りますから御放念下さい。
内地では今では随分涼しくなつたことでせう。当地の気候は毎日午后からは悪く雨が降つてきますが、昼の暑さは特別であり、夜になると海の方よりとても涼しい風が吹いて来て夜中は寒いくらゐです。皆々様には充分健康に気を付けて下さい。       草々
     小泉庄一
金を二拾円お送りしましたから弟妹に何か買つてやつて下さい。
五月の便りは七月二十八日に着きました。皆様御身大切にして下さい。
十八年七月二十九日   小泉庄一
 
 
 【小泉庄蔵様宛封書】
拝啓
其の后永らく御無沙汰致し失礼致しました。皆々様にはお変りも有りませんか。御伺ひ致します。
小生は変らず数千里の波涛を越えて今は南海の島に警備して居りますから御安心下さい。この手紙が着く頃は日本ではもう秋風が吹き始める頃、虫の鳴き声を聞かれる頃であらう。では村の人々にも手紙出さぬからよろしく。次の便りも一ヶ月余り行かない事と思つて居りますから心配なされぬ様お願ひ致します。
           
  十八年秋(注・家人の覚え書)
 
 
 
 【小泉庄蔵様宛軍艦の絵葉書】
拝啓
其の後長らく御無沙汰を致し誠に申し訳ございません。皆々様にはお変りもありませんか、御伺ひ致します。私は元気にて赤道南下に於いて軍務に勉励してゐますから御安心下さい。
内地は大分涼しくなつたことでせう。赤道南では十二月一日は一番暑いのです。
では皆様にて御身大切に。
 (メンソレータム小さいのを二個送り願ひます)
 
 
 【小泉庄蔵様宛封書】
拝啓
其の後随分心にも無き御無沙汰に打ち過ぎをり、悪しからず許し下され。皆々様には相変らず食糧増産に邁進致されて居られることと想ひます。私も元気にて南方戦線にて軍務に服して居りますから御放念下さい。
私も昨年十一月より海軍水兵長に進級しました。今后はますます張り切つて軍務に励む覚悟であります。大東亜聖戦第三春を謹んで南方の地より祝申し上げます。
利雄さん、元気にて一月十日入隊致された事と想ひます。末筆ながら皆様の御健康を祈上げます。
昭和十九年正月二十五日    小泉庄一



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