島 俊之 命

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昭和十八年六月十九日
中部太平洋方面にて特攻戦死
海軍甲種飛行予科練習生第九期
富山市一番町

【島権次郎様宛葉書】
 拝啓
 本日迄御無沙汰に打過ぎ申し訳ありません。其の後皆様御変りありませんか。小生本日迄何等変りなく、益々元気に軍務に精励致し居ります故、御安心下さい。
 では皆様の御健康を祈り、擱筆(かくひつ)致します。
敬具

【島権次郎様宛封書】
 拝啓
 先日以来御変りありませんか。当方毎日の好天気に恵まれ、天高く馬肥ゆるで、訓練に相変らず精励致して居ります。時局益々風雲を告げる秋日、航空部隊の動きも次第と忙しくなつて来ました。決戦の秋(とき)来る。小生も何時一線に出ぬとも限りません。体第一と注意して居ります。鹿児島は冬季は寒風のみとの事ですが、道は火山灰で、少し風が吹くともう〱たる砂煙りです。立山はもう白雪に覆はれたでせう。自分は、朝日に輝く北アルプス連峯の雄大さに感服し乍ら新鮮なる空気を吸ひ行く時、最も喜ばしいほこりを感じたです。又神通の清き流れにて鮎を捕りし日の思ひ出等、今は感無量です。
  武士の大和心に散る花の
      唯誠もて我は征くなり
 これは垣内君(先般面会の節、現はれた男)が飛練に行く際、別れにあたり自分に作つて呉れたものですが、非常に彼の生一本な所を現はして居ります。
 月日の過ぎるは早いもの、飛行予科練習生、飛行練習生と二年間過ぎました。□や待望久しき第一線に活躍出来るこそ、男子の本懐又これに勝るものなし。今後の皆様の御期待にそむかぬ立派な働きをなす覚悟であります。
 終りに臨み、皆様の御健康を祈るや切。
                            敬具

 二伸 富山の新聞を御覧の後、小生の下宿に送つて戴ければ幸ひです。
 「デバイダ―」を至急御願ひ致します。
 
秋…大切な時、危急存亡の時は「とき」と訓む。
 
 
 【島権次郎様宛封書】
 拝啓
 先日「デバイダ―」有難う御座いました。あの型で頂度適当です。先般兄上来隊の節は、何等之とて良いものも無く深謝致します。此の手紙の着く頃、小生愈々出陣の途に着く頃でせう。心ゆく迄米英撃滅に活躍する覚悟です。尚、先般乙種十一期の板倉保信一飛正(中学同級生)と会ひ、肉屋でまたむしゃ〱喰つたです。あゝそれから、兄上が帰られたあと二日して又酒の配給があり、甚残念でした。垣内君と板倉君、三人でのんだです。鹿児島へ帰られる途中九時十五分頃でしたか、船の上で小生の小隊三機が垂直旋回をしたのですが、小生確かに兄上等乗船と思ひ、懸命に手をふつたですが、良くわからないかも知れなかつたです。
 小生も五月一日付にて上等飛行兵正となり、来年五月一日には短剣もつられるので、大いに張切つて居ります。
兄上にも愈々健康に留意せられ、勉学に御精励あらん事を御祈りします。二月始に休暇がある事と思つて居りましたが、時局益々重大を加へ、二十四時間の外出をもらつただけです。然と次に帰るときは必ず、短剣を着け帰りませう。父母様へも俊之は十七貫の体躯で元気に行つたと、ひまの折に御伝へ下さい。又小生からも手紙を出します。
では御体大切に。再会の日を待つてゐます。
                           敬具
二伸 写真同封致しました。御笑覧下さい。南方へ行けばもつと黒くなることでせう。此の写真はちと白いです。
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