昭和二十年五月二日
比、ネグロス島にて戦死
岐阜県出身四十五歳
【松久光子様宛封書】
内地は目下田植の最盛期かと存じます。左記申し送ります。
一. 去る二月、父逝去の趣通知あり。痛惜に堪へさるも、老齢でもあり自然の配剤なればあきらむるの外なし。只従軍中の事なれば充分の回向(ゑかう)致し難く、当方にて可然(しかるべく)菩提相とむらはれ度(たく)、依頼す。郷里の兄より葬(とむらひ)は当日等と共に夫々(それぞれ)手伝ひくれたる趣通知あり。
一. 等及恭子進学の件、如何相成りたるや。他の子供共の成績又如何。
一. 自身は勿論、家族一同の健康には十二分の注意肝要なり。
一. 毎月の俸給手当は相異(ママ)なく領収済かと存じますが、出発以来一度も通知なく、当方懸念致し居るに付、一応状況通知の事。尚十二月、三月、六月の賞与の外、不時の支給送金等のありては、其の都度必ず通知すべき事(金額ヲ示スコト)。殊に転宅等の為未着の場合、取調の必要あれば特に申し添ふ。
一. 家庭並に親族間の変化に就ては、速(ママ)刻通知ノ事。従来屡々(しばしば)他よりの通知にて窺知せる次第にして甚だ遺憾なり。
一. 九郎の住所通知アリ度(た)し。清治君は前線へ出動せるや。
一. 矢木君昨年逝去せるとの事、哀悼の極なり。留守宅分明せば、香典(五円位)送付あり度(た)し。
一. 内地の生活状況は、相当窮屈なる様子なるが、戦争中なれば十分頑張るの必要あるも、等の学資金関係もあり相当出費を必要と認めらるゝも、一応状況を通知あり度(た)し。
一. 当方は極めて壮健なれば、些(いささか)の懸念無用に存じます。
先は
友三 5.1
光子へ
【松久光子様宛葉書】(発信地・フィリピン)
皆々壮健にて暮して居る事と存じます。当地は気候誠に宜しく、日々相当に暑さを感じますが、内地の夏よりも却つて凌ぎ易い様に感じます。僕も頗(すこぶ)る健康体ですから御安心を。今度ミンダナオのダバオへ行く事になり、近日中出発致します。別途手紙で依頼しました通り、履歴書を送つて下さい。
次ぎに、知子並に周の中耳炎は如何。余り香しくない様なれば、今夏休を利用し名古屋へ預け、中村耳鼻へ通院させて見ては何(ど)うか御熟考下さい。兄へは当方より然るべく依頼して置きます。遠く離れて居ますと病人には常に気懸りになります。
等、恭子は明年の受験期を控へ一層勉学すべき様、常に激励の事。宮路にての生活面白からざれば、富山市へ転住の様心掛ける事。郷里の父も老体の事故、出富不可能かと存じますから、時々手紙を出す事。以上御通知申上候。詳しい事は過日手紙にて申送りました。
先は
銃後…戦場の後方。直接戦闘しない一般国民。
【松久光子様外一同様宛葉書】(同前)
皆々御壮健の事と存じます。内地は海水浴、登山等で賑やかな事と存じます。山に海に大いに体を鍛へて、銃後国民の心意気を大いに挙げて下さい。
僕は七月末、ダバオに安着致しました。ミンダナオ支部で大いに活動します。心身共に極めて壮健です。日本人も二万五千人居ります。子供達も張切つて心身を鍛錬して居ます。
知子も周も療養充分に、早くよくなる事。常に気に掛ります。等、恭子は受験勉強に遺憾なきを期する事。卓は大いに遊ぶ事。
先便依頼しました履歴書写しを至急送つて下さい。又十日目位に二,三日分の新聞を、時々富士か講談雑誌(月オクレニテ可)送つて戴けば幸です。日用品の物価高には屁行(「閉口」の意か。)します。先達の送金は着きますか。試験場や栃津の連中には変りありませんか。宜しく伝へて下さい。
近々中出張する事になつて居ます。何れ手紙で詳細御知らせしますが、着く迄には一ヶ月位かゝるかと存じます。磯部へも宜しく。
当地にはマラリヤもデングも極めて少く気候は内地よりも宜しい。(第五報)
マラリア…ハマダラカにより伝播する感染症で、高熱発作・貧血・脾腫が特徴。熱帯熱マラリアは死亡率が高い。
デング…ネツタイシマカが主な媒介となるウイルス性の疾患。時に重症の出血熱を起す。