平成19年 10月 31日

十一月の御製板を奉掲致しました。

水きよき池の辺(ほとり)にわがゆめの
      かなひたるかもみづばせを咲く

 昭和四十四年五月二十六日頼成山の植樹祭にてお手植ゑの後、両陛下は今の南砺市城端の縄ヶ池の水芭蕉群生地に御成り、散策遊ばされました。水芭蕉の天覧は天皇様の御希望であられた由で、当時の徳川侍従の話では、両陛下が水芭蕉を御覧遊ばすのは此の縄ヶ池が初めてとの事でした。御製に「わがゆめのかなひたるかも」と詠ませ給ひし所以です。
 所で、縄ヶ池に在る御製碑には「みずばしょう」とありますが、昭和四十九年に刊行された両陛下の御歌集『あけほの集』には「みづばせを」と表記されてゐます。この点に就き昭和六十一年に、天皇陛下御在位六十年を奉祝して出版された『富山縣の今上陛下御製碑』に載る元富山県立図書館長廣瀨誠先生の御考察を抄出、参照して解説に代へませう。
 一、昭和四十四年五月、縄ヶ池にて水芭蕉天覧。
 二、翌年元旦の各新聞紙上には、宮内庁発表の「みずばしょう」と表記された御製が謹載された。
 三、その翌四十六年春、縄ヶ池に御製碑建立。それには宮内庁発表の「みずばしょう」の表記が用ゐられた。
 四、昭和四十九年四月、『あけほの集』刊行。「みづばせを」と表記されてゐた。陛下は植物学者として『那須の植物』等を著述の際、学界の通例に従ひ、植物名は現代仮名遣・片仮名書きで表記された。一方、御製に於いては常に正仮名遣をお用ゐなされてゐる。
 五、この縄ヶ池の御製は、当初は植物学者として、学界通用の「ミズバショウ」をそのまま平仮名にして表記されたが、後、歌集『あけほの集』を御刊行になる際、正仮名遣に御直しになつたのではなからうかと、恐れながら拝察申上げる。
 六、陛下が動植物名をお詠みになつた例は「しらねあふひ」「はるとらのを」など大部分が正仮名遣表記。併し中には「にっこうきすげ」の如く現代仮名遣の例もある。
 七、水芭蕉の場合は「水」が古来の国語「芭蕉」が漢語の複合語。「芭蕉」は字音(じおん)仮名遣(かなづかひ)(漢字の音を仮名表記する際の仮名遣。正仮名遣即ち歴史的仮名遣では現代の同音の漢字でも、その仮名には書き分けがある。「様‐やう」「要‐えう」等)では「ばせう」であるが、俳人芭蕉が「ばせを」と署名したやうに「芭蕉」は伝統的に「ばせを」とも表記されて来た。
以上のやうな経緯から「芭蕉」には「ばせを」「ばせう」「ばしょう」と三通りの表記が見られる訳です。因みに、この御製板の解説には祖国の歴史、伝統を護持尊重する立場から、正仮名遣即ち歴史的仮名遣を用ゐてゐます。