平成19年 9月 1日

九月の御製板を奉掲致しました。

ふる雨もいとはできそふ北国(きたぐに)の
    少女(をとめ)らのすがた若くすがしも

 
 これも昭和三十三年第十三回国民体育大会秋季大会に行幸啓の御砌詠ませ給ひし御製です。
 十月二十二日、この日は今回の五日間に亘つた行幸啓の最終日です。朝は生憎の雨でしたが軈て雨も上がり、午前中は先づ高岡古城公園の相撲場にて相撲競技御観戦、次いで砺波市の富山県農業試験場砺波園芸分場を御視察になられました。途次、砺波園芸分場の近くにてお召車の車中よりチューリップ苗の球根植付作業も御覧遊ばされました。この時周辺に繰り出した奉迎の人々は十万人、砺波市始まつて以来の人波であつたと当時の新聞は伝へてゐます。
 砺波市をお発ちの頃より折悪しく又雨が降り出し、午後零時半石動小学校御到着。小憩の後女子ホッケー競技を御観戦、雨などものともせず元気一杯に熱戦を繰り広げる少女達の姿に感銘を受けて詠ませ給うたのがこの御製なのです。
 昭和天皇の御製碑が全国に凡そ百四十基建立されてゐて、実はその中の一割、十四基もの御製碑が我が富山県内に建立されてゐる事は「立山の御歌」の解説にある通りですが、その本県の十四番目の昭和天皇御製碑となつたのが「女子ホッケー競技 石動小学校」の御題の付けられたこの御製碑なのです。
 県内には既に十三基の昭和天皇御製碑が建立され、昭和天皇御製碑全国最多の栄誉を担ふ中、「女子ホッケー競技」御製碑の建立も予てより、地元は素より県民各界各層から鶴首待望されてゐました。そんな折、篤志家の寄付を得て昭和六十二年に至り富山県ホッケー協会創立三十周年を期して、かつての国民体育大会ホッケー競技場の近く、小矢部市城山公園の一角に此の「女子ホッケー競技」の御製碑が建立されました。
 両陛下は毎年の国民体育大会に行幸啓遊ばされ、天皇様は特に開会式にての御感懐を御製にお詠み遊ばす事が殆どです。従つて何の競技か特定出来る御製は稀有(けう)(滅多に見聞き出来ない)と言ふも過言ではありません。オリンピック関連の御製でも同様です。管見(くゎんけん)(管の穴から見るやうな狭い知識)に入つたのは何れも国民体育大会の御製で「高崎山見ゆるテニスコートに・力つくしてホッケーきそふ―昭和四十一年大分県」「若人たちの角力(すまひ)(相撲)見にけり―昭和四十四年長崎県」「ハンドボールを神埼に見つ―昭和五十一年佐賀県」の四首です。競技名が分るのはこれくらゐでせうか。
本県での御製には御製そのものには「ホッケー」とは詠み込まれてゐませんが、御題に「女子ホッケー競技 石動小学校」と競技名も会場も明記されてゐると言ふ、稀有な一例なのです。