昭和天皇御製板
平成19年 7月 1日
七月の御製板を奉掲致しました。
紅(くれなゐ)に染め始めたる山あひを
流るる水の清くもあるかな
此の御製には「宇奈月の宿より黒部川を望む」との詞書(ことばがき)(和歌で、その歌を詠んだ日時や背景等を記した前書)があるやうに、昭和三十三年第十三回国民体育大会秋季大会に行幸啓の御砌、十月二十日の行在所となつた宇奈月温泉の宿よりの絶景を詠ませ給ひし御製です。後述の如く、宇奈月御到着は夕刻でしたので、お詠みになられたのは翌二十一日の朝のことであらうと拝察されるのです。
折柄宇奈月の山々は錦秋(きんしう)(紅葉が錦を織り成したやうに色鮮やか)も愈々始まらうかといふ季節。お召車は奉迎の旗の波を縫ふやうに進み、午後四時三十五分温泉郷の行在所に入り、両陛下の御安着を告げる花火が町民の感激と喜びそのままに黒部の清流の両岸に谺(こだま)しました。
午後七時半、行在所の対岸では奉迎の花火が始まりました。星空をあざむくばかりに尺玉が入り乱れて花開き、川面には「奉迎」等々の仕掛け花火が清流に煌(きら)めき、その頃、町民千五百人余の奉迎提灯行列も行はれ、ブラスバンドを先立てて行在所に到着。両陛下はバルコニーに御出ましになり、町民の真心溢れる奉迎に応へ給うたのです。
信越国境鷲(わし)羽(ば)岳(だけ)(標高二千九百二十四メートル)に源を発する黒部川は、流路凡そ八十五キロの八割が深山幽谷にあります。為に、その高低差と豊富な水量とを利用して「黒四」に代表されるダムが多く設けられてゐます。素より水質は清らかで、下流に至つても名水百選の一つに数へられる「黒部川湧水群」があるくらゐで、玉詠に「流るる水の清くもあるかな」と詠ませ給ひし所以でせう。
昭和三十八年に宇奈月温泉は開湯四十周年を迎へました。これを記念して、宇奈月公園の一角に、この昭和三十三年の行幸の御砌に詠ませ給ひし御製を刻んだ御製碑が建立されたのです。