平成19年 6月 1日

六月の御製板を奉掲致しました。

 たくみらも営む人もたすけあひて
      さかゆくすがたたのもしとみる

 「黒部の工場」と題された此の御製は、昭和三十三年第十三回国民体育大会秋季大会に行幸啓の御砌、当時の吉田工業株式会社(YKK)黒部工場、今の牧野工場を御視察され、その御感懐を詠み給ひし御製です。
 戦時中の反動もあつてか、昭和二、三十年代の頃には殊更資本家、労働者を峻別し、前者を悪玉、後者を善玉と単純とも言ふべき色分けをして、徒に反目を煽る風潮がありました。そんな社会の中に在つても、同じ日本人同士として経営者、労働者夫々の立場、特質を活かし合ひ協力し合つて、戦争で疲弊した祖国の再建に貢献し、企業も繁栄し自分達も幸せにならうと、地道に共々に頭脳を絞り額に汗する人達も大勢ゐました。YKKも経営者、従業員一体となり自社の儲けのみを追求するのではなく、もつと高い次元の「世の為、人の為」を考へる経営を実践してゐました。
 天皇様は「大東亜戦争終結の詔書」の一節に「宜シク、挙国一家、子孫相伝ヘ、確(かた)ク神州ノ不滅を信ジ、任重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ、総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ、道義ヲ篤(あつ)クシ、志操ヲ鞏(かた)クシ、誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ、世界ノ進運ニ後(おく)レサラムコトヲ期スヘシ。」(意訳―国中が一つの家族として、子孫にも伝へ、神々の国日本は絶対に滅びない事を確りと信じて、持てる力の総てを将来の国造りに傾け、倫理道徳を大切にし、嘘偽りや浮ついた心に流れる事無く、必ずや、純粋で麗しい日本の国柄を振ひ起こし、日に日に進み行く世界の動きに後れをとらないやうにしなければなりません。)と国民をお諭しになられました。大多数の国民は、このやうな大御心(天皇様の尊いお考へ)にお応へ申し上げるべく、戦後の復興に奮励努力を重ねて来たのでした。
 YKKには牧野工場、黒部工場双方に此の御製碑が建立されてゐます。牧野工場の御製碑は行幸啓記念に建立され、その碑文の一節に「創業以来二十五年、真に労使渾然一体となって進んで来た当社の姿がそのまゝ御製の御心と拝され、全員いよいよ和衷協力、相扶け相励まし、我が国経済の発展と輸出の振興に努めるとともに、広く工場の海外進出を図り、日本民族の繁栄、人類の福祉に貢献せん」とあり、創業五十周年記念に黒部工場に建立された御製碑の碑文には「社員一同」の名を以て同様の趣旨が書かれてゐます。
 「大東亜戦争終結の詔書」には「(朕ハ)常ニ爾臣民ト共ニ在リ」の一節もあります。天皇様は昭和二十四年五月二十九日九州御巡幸の御砌、作業服をお召しになり三池炭鉱の地底千五百㍍、最前線の切羽に粉塵をものともせず玉歩を運ばせ給ひ御視察、その帰途には職員組合長、労働組合長にも慰労、激励の御言葉を賜りました。この富山県行幸啓の御砌にも御視察遊ばされたYKK始め各工場、事業所では必ず労働組合の代表者にも御言葉を賜つたのでした。正に御身を以て「終戦の詔勅」を実践してをられたのです。