6月23日(日)、國内唯一の激戰であった沖縄戰終結の日である「沖縄慰靈の日」に、特攻戰歿英靈顕彰慰霊大祭を斎行申上げました。特攻戰歿英靈顕彰慰霊大祭は、故郷を守らうと命を懸けて戰つた特攻隊員の御靈(みたま)を慰靈し、その崇高な精神を次の世代にも伝へてゆかなければならないといふ宮司の強い思ひで、令和元年より斎行申上げてをります。本年は終戦より79年を迎へ、さらに昭和19年10月21日、神風特別攻撃隊が初めて出撃されてより80年といふ節目の年であります。
当日は、御遺族や神社総代・崇敬会員をはじめ、さらにはこの日のために県外からお越しいただいた方々のご参列のもと、特攻で散華された隊員70柱の御靈を慰靈申上げました。
祭典では、宮司が御靈を慰靈顕彰申上げる祝詞を奏上し、特攻隊員70柱の御名を読み上げ、祝詞奏上後には、御神前にて「いでたちの舞」を奉奏しました。「いでたちの舞」は、昭和二十年五月十三日、飛行第二十戰隊陸軍伍長として台湾宜蘭基地を出撃、沖縄本島西海岸に群がる米艦船に体当たり、特攻戰死された高田豊志命が、「お母さま」にのこされた「夢にだに 忘れぬ母の 涙をば いだきて三途の 橋をわたらむ」といふ和歌に、平成七年の終戰五十周年に宮司が補作、牧田明子翁雅楽会長により、曲と舞が創作されたものであります。
舞の奉奏後、参列者が玉串を奉りて拜礼、祭典終了の後は旧海軍甲種飛行予科練習生をたたへる「甲飛の碑」と旧陸軍少年飛行兵を慰靈顕彰する「つばさの塔」の前を巡拝し、一同黙祷を捧げました。
祭典がはじまり、御霊をお招き申上げると同時に、大拜殿に爽やかな風が吹き抜け、そして宮司が祝詞を奏上し、特攻戰歿された御霊の御名を一人づつ読み上げると、いつきに涙雨が激しく降り始め、祭典が終了した頃には晴れ間がでるといふ、まるで英霊の御心がそのままあらはれてゐるやうな祭典でした。来年は終戦80年を迎へる記念の年です。今一度、英霊の御心を強く思ひおこし、永く久しく継承してゆく次第です。
御参列いただきました皆様には、篤くお礼申上げます。