富山縣護國神社
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崇敬会旅行「明治天皇の行在所『慶雲館』と紫式部ゆかりの地大津を探訪する旅」のご報告(令和6年6月21日)

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 富山縣護國神社では崇敬会研修旅行「明治天皇の行在所『慶雲館』と紫式部ゆかりの地 大津を探訪する旅」を一泊二日の行程にて実施致しました。
 大河ドラマ『光る君へ』で注目を集めてゐる大津の地でありますが、天智天皇をお祀りする近江神宮、滋賀県出身の英霊をお祀りする滋賀縣護國神社への正式参拝をはじめ、明治天皇の行在所であった慶雲館などへの訪問を通じて、國のために尽力された先人のご遺徳を偲び、顕彰申上げることを目的として開催しました。
 往きは今年の3月16日に延伸された北陸新幹線で敦賀駅まで行き、バスに乗り換へて滋賀県へと向かひました。
 先づは長浜市にある明治天皇の行在所として建設された『慶雲館』を訪問。慶雲館は明治20年に明治天皇行在所として実業家の浅見又蔵氏により建設されました。
明治19年秋、明治天皇・昭憲皇太后が孝明天皇御式年祭のため、京都へ行幸啓遊ばされ、帰路に大津から船を利用されて長浜にお立ち寄りになられることを知つた浅見氏は、私費を投じて行在所の工事を急遽開始され、竣工したのはおよそ3ヶ月後の明治20年2月21日、明治天皇・昭憲皇太后が京都を発たれた当日の朝で、建設工事の後片付けはまだ終はつていなかつたと云ひます。その後は浅見氏の別邸としてだけではなく、長浜市の迎賓館として使用され、昭和10年の国史跡指定に伴ひ、翌年長浜市に寄付されました。実業家浅見又蔵氏の、当時の國を思ふ心と、緊張感が伝はる逸話です。
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玉座が設けられた二階部分
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二階からは琵琶湖と伊吹山が一望できたやうです

 次に訪れたのは、慶雲館の向ひにある長浜鉄道スクエア。「旧長浜駅舎」、「長浜鉄道文化館」、「北陸線電化記念館」の三つの施設からなる鉄道資料館です。長浜のまちに産業と文化の息吹を伝へた鉄道文化にふれ、鉄道建設に尽力された先人に思ひを馳せました。
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旧長浜駅舎。現存する最古の駅舎。

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北陸線電化記念館に展示されてゐる、北陸線で活躍したD51形793号機蒸気機関車。

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明治5年9月12日、はじめて鉄道が新橋~横浜間に開業。その両駅の式典で賜つた明治天皇の勅語。

午後は、第38代天智天皇をお祀りする近江神宮にて正式参拝を致しました。網谷宮司様をはじめ、職員の皆様にお出迎へいただきました。
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内拜殿にて正式参拝ののち、網谷宮司様より近江神宮についてご説明いただきました。

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天智天皇の御製碑。小倉百人一首の第一首目が天智天皇であることにより、境内には、保田與重郎や高市黒人をはじめとした数多くの歌碑があります。

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自動車淸祓所にて。明治23年建築の大津地方裁判所の玄関車寄せが、昭和46年解体立て直しされるにあたり、近江神宮へ移築された建物です。

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昭和39年オメガ社総代理店奉納の漏刻時計。日本書紀にもあるやうに、天智天皇は、はじめて漏刻時計をお造りになられ、社会生活の基本である時報を始められました。現在6月10日の時の記念日は、天智天皇10年4月25日(太陽暦で現在6月10日)、近江大津宮ではじめて時報がうたれた日を記念して制定されてゐます。

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時計館宝物館には、さまざまな時計が展示されてゐます。毎年、時の記念日に斎行される漏刻祭では、セイコーやシチズンなどの時計メーカーからの奉納があり、関係者の方々約200名が参列されるそうです。

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近江観学館にて、近江神宮敬神婦人会の皆様よりお茶とお菓子をいただきました。

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ご挨拶される敬神婦人会梅田会長様。

網谷宮司様から境内をひとつひとつ丁寧に御案内いただき、さらに職員の皆様、敬神婦人会の皆様によるお心こもるおもてなしを受け、大変ありがたい気持ちになりました。
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次に、壬申の乱の後、大友皇子の息子、大友与多王が父の御霊を弔ふために創建された三井寺を参拝し、三井寺近くの市民文化会館の小高い丘にある「若鷲の碑」を参拝致しました。
 若鷲の碑は昭和50年10月12日、大津陸軍少年飛行兵学校跡に建立されました。大津陸軍少年飛行兵学校は、昭和17年10月、東京陸軍航空学校大津教育隊として開設され、翌18年4月に独立しました。陸軍少年飛行兵学校15期生から20期生に至る八千有余人が基礎訓練を終へ若鷲となり大空に巣立ち、111名が特攻戦歿され、その中に大津出身者がをられ、その御霊を慰霊顕彰申上げるものであります。
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 若鷲の碑がある丘の上から琵琶湖方面を望むと、すぐそばには高校のグランドで野球などのスポーツに励む元気な生徒らの姿があり、若くして國を守る為に戦ひ散華され、そして今の日本の礎となられた英霊に、あらためて感謝の意が込み上げてきました。
 
 二日目は、平安時代に多くの貴族や女流文学者が参詣された「石山詣」で人気を博し、紫式部も源氏物語の着想を得たと伝へられる石山寺を訪れました。境内には至る所に壮大な硅灰石があります。一同は、ボランティアガイドの丁寧な説明を受けながら境内を散策致しました。

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もみじのトンネルが美しい参道

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硅灰石の上に大きな堂宇がある

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石山寺御本堂

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参籠中の紫式部をイメージしてつくられた人形

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 次は、この研修旅行の最後の目的地である、滋賀出身34750柱の英霊をお祀りする滋賀縣護國神社にて、正式参拝を致しました。参拝の後、山本宮司様よりご挨拶を頂き、さらに山本禰宜様より境内のご説明を頂きました。

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大東亜戦争終結70年、滋賀縣護國神社創立140周年を記念し、平成28年10月5日の秋季例大祭に合はせて会館された英霊顕彰館

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英霊顕彰館にて山本禰宜様より説明をいただく

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英霊顕彰館内に展示されてゐる「慰霊平和祈願御朱印屏風」。ご遺族であり、第49代・50代滋賀県知事 國松善次氏が戦歿者の慰霊と世界平和を祈願して全國の護國神社を自転車で3年4カ月かけて参拝された際に頂かれた御朱印を、屏風にして奉納されたものです。當神社には平成25年8月27日といふ、まだまだ暑さ真盛りの中、参拝されてをられました。

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社務所にて談話。
 次世代を担ふ若者も減少傾向にある昨今、さらに御遺族の減少といふ課題を目前に、如何に英霊の御遺徳を伝へ、さらに護國神社を守つてゐくか、全國の護國神社が直面してゐる共通の課題に、日々奮闘してゐる様子が伝はつてきました。
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山本宮司様を囲んでの記念撮影

 参拝の後は、彦根市内から富山まで、バスにて帰路に着きました。
 この度の研修旅行を通して、崇敬会員の親睦をはかることは基より、神社や史跡を巡ることにより、祖国を守るために戦つた英霊や、先人のご遺徳を偲び、如何に次世代へ守り伝へてゆくかといふ課題を考へつつ、國を思ふ心が醸成されたやうに思ひます。
 この度の研修旅行に御参加頂きました皆様、ご案内ご協力賜りました皆様方にあらためて感謝申上げます。ありがたうございました。

富山縣護國神社
富山県富山市磯部町1-1 TEL:076-421-6957 FAX:076-421-6965

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