十一月下旬から十二月上旬にかけて、境内の中央にある大燈籠の免震工事が行はれました。
この工事は、富山市四方の柳澤石材さんによつて、経済産業省「地域産業資源活用計画」において国の認定事業となつた製品、「安震はかもりR10」を、国からの補助金を利用されて施工されました。この「安震はかもりR10」は、震度7の大地震の揺れをも吸収してほとんど揺れることがない製品なのださうです。
この機会に、燈籠に穴を開け電線を埋設し電燈を燈す工事も行ふことができました。
夜になると境内が真暗でありましたが、これで初詣に向けて温かい明かりを燈すことができました。
柳澤石材様をはじめ工事関係者各位に感謝申し上げ、ご報告申し上げます。
来る十二月十三日(日)午後三時三十分より、百地章・日本大学法学部教授を講師にお迎へして、外国人参政権等日本解体法案を阻止すべく緊急研修会(主催 日本会議富山)を開催します。本研修会参加ご希望の方がをられましたらどなたでも参加出来ますので富山縣護國神社までお越し下さい。尚、当日は受付にて御名前・御連絡先を御記入願ひます。
記
外国人参政権等日本解体法案を阻止すべく緊急研修会
一、日 時 平成二十一年十二月十三日(日)午後三時三十分
一、会 場 富山縣護國神社参集殿
一、講 師 日本大学法学部 百地章教授
一、その他 参加費はございません
どなたでもご参加下さい
ご不明な点がございましたら、富山縣護國神社(電話 四二一の六九五七)までご連絡下さい
第十四回どんぐり祭が十月二十六日に齋行されました。
どんぐり祭は、戦後焼失した境内の樹木を取り戻し、緑豊かな自然を守り育て後世に残すとともに子供たちに木々を大切にする心を育んでもらはうとして行はれてゐる祭典であります。
祭典では、宮司が祝詞を奏上した後、崇敬會員の皆様より奉納された「どんぐり」の実や苗木を祓ひ清め、参列されました責任役員、富山県森林管理署加藤元之署長、古里チャリティー茶会宮村宗心代表、崇敬會員、雲雀ヶ丘保育所の高橋幸子所長、園児が玉串を捧げて拜礼し、當神社林苑顧問の松久卓様よりどんぐりの種類や実の形、生育環境などについて講話をいただきました。
天候はあいにく雨でありましたが、神苑へ移動して、古里チャリティー茶会より奉納された「ブナ」の木の記念植樹が行はれ、樹木の成長を祈りながら次々と土をかぶせてゆきました。
十二月行事案内
一日(火) 午前九時 富山縣鎭靈神社(祖霊社)月次祭
午前十時 永代祭
午前十一時 みたまわけ大祭
六日(日) 午前六時 青空のみの市
午前十時 永代祭
十五日(火) 午前七時 月次祭(朝粥神事)
(神符頒布始祭)
午前八時 月次釜
午前九時 みおや祭
午前十時 永代祭
二十日(日) 午前九時 第三回「廣徳塾」
二十三日(水) 午前十時 天長祭
午後一時三十分 御井祭
絵馬焼納祭
すす払ひ
午後二時 福ひめ認証式
二十五日(金) 午前九時 大正天皇祭
三十一日(木) 午後三時 大祓
午後四時 除夜祭
平成二十二年(紀元二六七〇年)
一月一日(金) 初 詣
十一月行事案内
一日(日) 午前六時 青空のみの市
午前九時 富山縣鎭靈神社(祖霊社)月次祭
午前十時 永代祭
十五日(日) 午前七時 月次祭(朝粥神事)
午前八時 月次釜
午前九時 みおや祭
午前十時 永代祭
七五三詣
二十三日(日) 午前八時半 新嘗祭
秋季例大祭が十月五日午前十時より齋行されました。
第300回記念の青空のみの市・宵祭が前日に齋行され、当日は暑すぎず寒すぎず過ごし易い気温となり、県内各地より多数の御参拜を賜りました。
齋員のご奉仕には、富山県神社庁の各支部・富山県神社庁雅楽部・富山県神道青年会の神職の皆様よりご奉仕いただき、参向使として新田八朗崇敬総代会長、また富山県知事代理、梶敬信富山県議会議長、富山県遺族会長をはじめ、責任役員、総代、各市町村遺族会、国会議員、県議会議員、市議会議員、各戦友会、各町内会の方々が参列されました。
祭典では、修祓の後に、崇敬会青年部「浦安会」会長以下会員の奉仕による國旗掲揚を行ひ、「みたまなごめの舞」、富山県詩吟剣舞連盟 吟士 藤田神米様・剣士 中島天璋様による詩吟剣舞 吟題 「家兄に寄せて志を言ふ」廣瀬中佐作が奉納され、宮司・参向使挨拶、知事、県議会議長の挨拶の後、御参列の皆様には祈祷殿にお進みいただき、ろうそくを献灯して参拜いただきました。
本年も皆様方の御蔭をもちまして秋季例大祭が滞りなく齋行されましたこと、衷心より厚く御礼申し上げます。ありがたうございました。
修祓後、浦安会奉仕による國旗掲揚
「みたまなごめの舞」奉奏 「詩吟剣舞」奉納
秋季例大祭に先立ち、午前九時より富山縣鎭靈神社秋季祭が齋行されました
毎月第一日曜日(原則)に開催してをります「青空のみの市」が、昭和五十九年十月七日に開催してから平成二十一年十月四日で三〇〇回目を迎へました。この間、昭和天皇陛下が崩御されました昭和六十四年一月を除いては、雨や雪が降らうとも毎月開催されてまゐりました。
この日は、作芸人磨心(サウンドマシン)さんのワンマンオーケストラやコチャッピーJUNさんのミニミニサーカス、川西銀次さんのあめ細工、たくさんの大道芸人で演奏されますちんどんオーケストラが境内中を賑々しくいただき、大勢の参拜者や出店者の皆さんも楽しんでをりました。
そして、正午より正式参拜を齋行、「第一回 青空のみの市」の開催に携はれた田岸さん(赤田にて喫茶店「メイビー」を経営)にお越しいただき、最初の苦労された話などを聞かせていただきました。
青空のみの市実行委員会の皆様をはじめ出店者の皆様に感謝申し上げますと共に、今後とも御協力をお願ひ申し上げ、報告といたします。
伊勢神宮式年遷宮奉賛会富山県本部では、平成二十五年に齋行される式年遷宮を広く知つてもらはうと九月二十七日に富山市総曲輪グランドプラザにて第六十二回伊勢神宮式年遷宮奉祝「雅音楽祭~悠久の調べにのせて~」を開催しました。
この企画は、平成十九年に富山県神道青年会が立案し、富山県神社庁と共催して、神社庁教化委員会の神宮奉賛部会が主管となつて進められました。
神宮大麻奉齋家庭頒布率が全国一位の富山県でありますが、伊勢神宮式年遷宮を知らない人が多数ゐるといふ現状を踏まへ、県内で最も不特定多数の人々が集ふ繁華街で広報活動を行ふ、といふことを目的に行はれました。
当日、ステージにて富山県神社庁雅楽部が管弦や神楽舞を披露、また無償で参加いただいた県内十団体が、和太鼓や民謡、クラッシックやフォークソングを演奏しました。
伊勢神宮崇敬会からも協力をいただき式年遷宮の記念品や伊勢の物産品が販売されました。会場では、式年遷宮の解説パネル展示や平安装束の着装体験、火きり体験があり、ステージの上にある大型スクリーンでは神社本庁作成の遷宮PR映像『元々本々』のDVDが常に放映され、映像と音楽とが相俟つて、終日老若男女問はずたくさんの人が、伊勢神宮に参拝してゐるかのやうな厳かな空間に浸つてをりました。
一日のみの開催でありましたが、伊勢神宮の名前さへ知らなかつたといふ人や、式年遷宮を全く知らなかつたといふ人もたくさんゐるといふことが実感でき、またそのやうな人々へ式年遷宮を伝へることができた広報活動となりました。演奏、観賞、体験を通して、参加者も来場者も楽しい充実したひと時を過ごしてをりました。
第二十五回表千家献茶式並びに桜菊茶会が富山縣護國神社表千家献茶会主催、表千家同門会富山県支部協賛にて、平成二十一年九月十七日(木)に表千家 左海祥二郎宗匠をお迎へして開催いたしました。
午後一時からの献茶式では、神社役員や表千家同門会富山県支部、県茶道連盟、北日本茶会の関係者ら約四百名が参列し、栂野守雄宮司の祝詞奏上の後、献茶の儀が執り行はれ、左海祥二郎宗匠が洗練されたお点前を厳かに披露され、濃茶、薄茶を御神前にお供へしました。左海宗匠には、今年初めて父子で御奉仕いただきました。
戰場で倒れられた御英靈たちが、末期の水もいただけぬまま亡くなられたことに思ひを馳せ、故郷の清水で点てられたお茶を当代一流の茶人によつて捧げ奉るものであり、十月五日の秋季例大祭を前に齋行されたものであります。
献茶式に合はせ、表千家同門会富山県支部(谷野亮爾支部長)が担当する「桜菊茶会」も開かれ、秋の気配を感じながら一服を味はいました。
御関係各位の御協力に感謝申し上げ、御報告いたします。
遺芳館の展示を解説しやすく、支那事変、大東亜戰争、昭和殉難者(じゅんなんしゃ)と、御英靈の遺書がその年代毎になるべく近くになるやうに配置替へをいたしました。
そして、極東国際軍事裁判(東京裁判)により戰犯として処刑(リンチ)された御英靈を、日本では昭和殉難者と言ひますが、そのことの解説も加へて展示いたしました。どうぞ拜観いただければ幸ひです。
日本國には戰争犯罪人はゐない ←ここをクリックして下さい
また、遺芳録のページに、遺芳館を建設・遺芳録を発刊するにいたつた背景を加へました。
遺芳を萬代に傳へむ―發刊にあたりて ←ここをクリックして下さい
重ねて拜読いただきたくお願ひ申し上げます。
上田貢命の遺書と昭和殉難者の解説
遺芳録のページに發刊するに到りました経緯
「遺芳を萬代に傳へむー發刊にあたりて」
を追加いたしました。
http://www.toyama-gokoku.jp/ihouroku/2009/09/post_31.html
十月行事案内
一日(木) 午前九時 富山縣鎭靈神社(祖霊社)月次祭
午前十時 永代祭
五日(月) 午前十時 秋季例大祭
四日(日)午前六時 三〇〇回記念 青空のみの市
ちんどんオーケストラ、各大道芸人の芸の披露があります
午後四時 宵宮祭
五日(月)午前九時 富山縣鎭靈神社秋季祭
午前十時 秋季例大祭
『みたま慰めの舞』
『詩吟剣舞』の奉納があります
午後四時 成就祭
十一日(日) 午前十時 永代祭
十五日(木) 午前七時 月次祭(朝粥神事)
午前八時 月次釜
午前九時 みおや祭
午前十時 永代祭
二十五日(日) 午前八時 古里チャリティー茶会
八月三十日(日)午前六時から午後八時まで「第二回とやま表参道ピース祭り」が開催されました。
この「表参道ピース祭り」は、今日の平和な暮らしは散華された御英靈の礎の上に築かれているといふ歴史に、また、一日を通して音楽を楽しみ、おいしいご飯を食べ、太陽と共に遊び、キャンドルのやさしい光に包まれて、横に居る人の笑顔が見れるやう、そんな「幸せ」を感じつつ、その現実に感謝し、そして、昨今の様々な問題を考へ、行動していくといふことを目的に、いづれは護國神社の表参道から市内の中心部まで盛大に拡がることを目標に、そんな強い思ひを持つた若者たちが集ひ実行委員会を結成し、昨年より開催されてゐる祭りです。
奇しくも今回は総選挙の投開票日と重なりましたが、とやま表参道ピース祭りとともに投票所へも足を運ばれますことをお願ひ、開催されました。
早朝より「ヨガ」が大拜殿にて行はれ、十時からは、華山亭前の会場で、玄米ポン菓子ぽっかん屋の実演、Tiare Heiquaタヒチアンダンス、ASAHI、SAIBAIS、大谷レゲエ楽団、Thunder Mountain Boys、縁とHOZU、AUREOLE、IWAKI KENTARO、DJKの演奏があり、境内では、フリーマーケット、飲食店が出店し、ワークショップテントでは、キャンドルランタン作りや、牛乳パック編み機でのecoたわし作りを子供たちと共に行ひ、とやま県産材のつみき広場でもたくさんの子供が楽しく遊んでをりました。
そして、午後六時三十分からは大拜殿及び大拜殿前参道にて、ディジュリドゥ(世界最古の楽器と云はれるオーストラリア先住民族・アボリジニの伝統楽器)演奏者のNATAさん(映画『Blood』主演:杉本彩 要潤 津田寛治等の音楽製作の参加される)の幻想的な音色の演奏があり、ファイヤーポイHARUKIさんのFIREダンスと一緒に行なはれました。
NATAさんの挨拶の後に、この祭りの大切な要素である『遺芳録』の朗読が、実行委員会の清水君より「竹森義秋命」の遺書が朗読されました。その朗読により誰もが平和の尊さを再認識させられる中、この祭りのテーマソングにもなっている大谷氏の歌「平和の祈り」を大谷氏と共にみんなで合唱、そして実行委員会の黒田代表の御礼の言葉で閉会となりました。
大拜殿には、もう一つの大切な要素である「火」について、人が太古よりかかせないものでありその尊さを発信すべく、大小様々のキャンドルナイトが設営され、参列された皆さんをやわらかいキャンドルの灯りで包み、癒しの空間を醸し出し余韻を響かせてをりました。
とやま表参道ピース祭り実行委員会の皆様、ご苦労さまでした。
七月二十五日に開催しました第二回廣徳塾にて写生大会を実施いたし、富山県神社庁が主催する「第三十二回お宮さんを描く写生大会」で、山室小五年の中西彩莉沙さん、芝園小四年の杉本彩芽さん、柳町小二年の森田怜くんが見事に入賞されました。おめでたうございます。ここにその絵をご披露いたします。
銀賞 山室小五年 中西彩莉沙さん
銀賞 柳町小二年 森田怜くん
銅賞 芝園小四年 杉本彩芽さん
九月行事案内
一日(火) 午前九時 富山縣鎭靈神社(祖霊社)月次祭
午前十時 永代祭
六日(日) 午前六時 青空のみの市
午前十時 永代祭
十五日(火) 午前七時 月次祭(朝粥神事)
午前八時 月次釜
午前九時 みおや祭
午前十時 永代祭
十七日(木) 午後一時 第二十五回 表千家献茶式(櫻菊茶会)
家元 左海祥二宗匠奉仕
八月二十三日(日)から二十五日(火)まで第十回元服立山登拜竝に記念式典を開催しました。
平成十二年の真冬二月二日、立山町芦峅寺の山岳写真家の高橋敬市さん宅で「元服立山登拜」実現に向けた話し合ひを開催、同年七月二十四日から二十六日にかけて「第一回元服立山登拜」を実施してより今回で第十回目を迎へました。今回は、実現のきっかけとなりました高橋敬市さんに解説をしていただくこととなり、ガイドに富山県山岳連盟副会長の永山義春さんを迎へて、隊員十八名、隊長以下サポーター等の大人が十五名の総勢三十三名に加へて、富山みらいロータリーから九名の方に参加いただき開催しました。
一日目は、神社で結成式を齋行ののち、父兄や富山みらいロータリーのたくさんの方に見送られて出発、バスにて千寿ヶ原の立山駅へ、ケーブルにて美女平へ、そして高原バスにて追分まで移動、体操で身体をほぐし、登拜が始まりました。弥陀ヶ原を進み一の谷にて昼食、立山六禅定の一つ鎖禅定の獅子ヶ鼻を登り、鏡平・天狗平・大谷を通り室堂山荘に到着、その後玉殿の岩屋をお参りして室堂山荘へ戻りました。山荘では、ガイドの永山さん、高橋さんにお話をしていただき、夕食をとりました。
結成式 お守り・はちまき授与
追分にて体操 弥陀ヶ原
一の谷にて昼食 獅子ヶ鼻・鎖禅定路
獅子ヶ鼻 鏡石平
快晴の一日目 天狗平山荘前
石田さん、翠田さん、今井さん 室堂山荘へ
玉殿の岩屋をお参り 永山さん、高橋さんのお話
二日目は、朝四時に起床、五時に山荘を出発して浄土山へ、頂上の軍人靈碑にて献鐉・拜禮・國歌斉唱の後、隊長から訓示があり、そこで朝食をとりました。一休みしてから出発、一の越を通り、三の越の昭和天皇御製碑にて「立山の御歌」奉唱・皇居遥拜をしました。次に雄山頂上へ登り、雄山神社峰本社にて雄山神社禰宜の佐伯睦麿さんに「元服成就祈願祭」を齋行していただきました。頂上では温かいココアをいただきました。大汝・富士の折立を進み、鞍部にて昼食、真砂岳の稜線を進み別山山頂へ、頂上ではお社を参拜して三山(浄土山・雄山・別山)登頂の万歳三唱。次第に天気が悪くなったため雨具を装着して出発、別山乗越から雷鳥沢を下り、雷鳥沢のキャンプ場へ。キャンプ場では、富山みらいロータリーの橘敏枝会長以下六名の皆様が第一回から第九回までの隊旗を掲げて迎へていただき、第十回の隊旗が合流した後、「第十回記念式典」が執り行はれました。式典では、隊長が式辞を述べ、来賓祝辞を橘会長より賜り、ガイドの永山さん、高橋さんより講評、チーフサポーターの篠田昭治さんより祝辞を賜りました。そして、雄山頂上に向きを変へて「立山の御歌」を奉唱、すると今までガスに覆はれていた会場でありましたが、唄ひ出した途端に雄山頂上が姿を現し、一同感激に浸りつつ奉唱しました。そして第十回を祝ひ全員で万歳三唱して記念撮影を行ひ式典を閉ぢました。宿泊先の雷鳥沢ヒュッテへ移動し、疲れきった身体を温泉・夕食にて癒しました。
室堂山荘主人より激励の言葉 浄土山頂へ
頂上にて隊長訓示 集合写真
二の越付近 三の越 昭和天皇御製碑
元服成就祈願祭 雄山神社峰本社
富士の折立 別山頂上
間もなく雷鳥沢キャンプ場 過去の隊旗とロータリーの皆様の出迎へ
第十回記念式典 集合写真
三日目は、朝食後、永山さん・高橋さんからもう一度お話をいただき、体操の後、第一回から第十回の隊旗を掲げて地獄谷を経由し天狗平へと進みました。天狗平では、ナチュラリストの佐藤武彦さんが迎へて下さり、帰りの高原バスの中、弥陀ヶ原まで解説をしてくださいました。そして美女平にて昼食、ケーブル・バスに乗り神社へ戻りました。到着してすぐに終了式を開式、参拜・隊旗返還・修了證授与・隊長と来賓を代表して富山みらいロータリーの戸田幹事長のお祝ひの言葉・集合写真・隊旗へ名前の記入を行ひ解散しました。
十本の隊旗を掲げて出発 大谷付近
佐藤さんと合流 美女平でミヤマクワガタを獲得
終了證授与 隊旗へ名前を記入
登拜隊と家族の皆様
今回のコースは、途中で高原バスを降りて追分から旧登山道を登り、尚且つ二日目の行程がとても強硬でありましたが、隊員たちは弱音も吐かずに苦しさを乗り越へ登拜を成し遂げました。また、帰路の高原バスでは、救助ヘリが一の谷に沈んでゆく姿を目の当たりにし、二日前に通った場所であったために山の厳しさを強く再認識させられました。
三人の班長には、隊員たちをよく纏めていただき、「食前食後感謝の唱へ言葉」も立派に先導してくれたので隊員一同大きな声で唱へることが出来ました。お蔭で非常に纏まりの素晴らしい登拜隊となりました。班長の皆さんありがたうございました。
参加いただきました隊員諸君・サポーターの皆様をはじめ雄山神社、各山小屋の皆様、協賛いただきました富山縣護國神社崇敬会・青空のみの市実行委員会・富山みらいロータリークラブ・富山南ライオンズクラブ・立山黒部貫光株式会社、後援いただきました報道各社の方々のお蔭で無事に開催できましたこと、深く御礼申し上げます。まことにありがたうございました。
隊員とサポーターの皆さん
永山さん、高橋さん、篠田さん、班長のみんな、まことにありがたうございました。
終戦記念日の八月十五日、午前十一時四十五分より終戦詔書奉戴記念祭を齋行しました。
平和の礎として散華されました御英靈の御靈をお慰めし御功績を顕彰申し上げ、感謝のまことを捧げる祭典であります。
修祓(しゅばつ)・献饌・祝詞奏上の後に、正午、日本武道館に行幸啓されてをられます天皇皇后両陛下にならひ参列者と共に黙祷、玉串拜禮・國歌斉唱・聖寿万歳を執り行ひました。
年々特に若い人の参拜が増えてをり、社頭に出してあります日本青年会議所の領土解決へ向けた署名用紙へも、たくさんの方が署名していただきました。
「あとをたのむ」と散華されました御英靈に応へるため、全國民が協力努力して、道義國家再興のため、改めて日々努めてまゐることを強く誓ひ申し上げたのであります。
昭和天皇 御 製(昭和二十年)
國がらを ただ守らむと いばら道
すすみゆくとも いくさとめけり
平成二十一年万灯みたままつり祭典諸行事が滞りなく終了することができました。
祭典行事にご参列、ご参加いただきました皆様、あんどん、あんどんの絵をご奉納いただきました皆様、特別あんどんをご奉納いただきました皆様、ヤクルトをご奉納いただきました日本海乳業様、夏のをどりをご奉納いただきました藤間勘史弥社中の皆様をはじめたくさんの方々のご協力により盛大裡に齋行できましたこと、先ずもって感謝申し上げます。
ここに一部ですが写真を掲載いたします。
午前十時 富山縣鎭靈神社例大祭
祝詞奏上 立山の御歌奉唱
午前十時三十分 万灯みたままつり並びに永代講大祭
参進 祝詞奏上
みたまなごめの舞 いでたちの舞
玉串拜禮 宮司挨拶
夏のをどり
(愛媛県民謡)伊予万才 (小曲)祇園小唄 桶谷 柚衣(6歳)
馬場 梨彩子(高1)
小古井 季(中1)
渡辺 純子
(新舞踊)望郷江差 (鳥取県民謡)貝殻節
踊り手 藤間 史弥奈 馬場 梨彩子(高1)
唄い手 中田 好美 小古井 季(中1)
岸壁の母
唄ひ手 中田 好美
夏のをどりが終はり、みあかりを灯して参拝いただきました。
また特別あんどんは、富山県出身の著名な書家、画家の先生方や俳優、また全国の有名な方々に奉納いただいてをります。一例として挙げますと、俳優の梅津榮氏は、富山大空襲を体験されその時に咲いていた一輪の花を思ひ偲ばれ、「野辺に咲く一輪の花」と揮毫していただきました。
本年ご奉納いただきました方のお名前を順不同、敬称は省略にて紹介いたします。
大島 秀信氏、野上 祇麿氏、青柳 志郎氏、中野 清韻氏、木村 阿津湖氏、
小泉 正雄氏、藤井 和子氏、澤 大道氏、吉川 正紀氏、吉田 桂介氏、
千 宗左氏、ペギー葉山氏、浅野 温子氏、金 美齢氏、梅津 榮氏、
春風亭柳之助氏、日向ひまわり氏、竹本 忠雄氏、山谷 えり子氏、有村 治子氏、
栂野宮司
午後七時からは神楽の夕べを齋行いたしました。
浦安の舞 いでたちの舞
みたまなごめの舞
また当日午前九時より、第三十二回富山市少年相撲大会が開催されました。
大会に参加されました選手をはじめ、監督、大会役員の皆様方大変ご苦労様でございました。
ここに、見事に入賞されました方々を報告いたします。
おめでたうございます。
【団体の部】
優勝 堀川小学校Aチーム
次賞 堀川小学校Bチーム
三位 東部チーム
【個人の部】
<四年生以下のl部>
優勝 藤澤 優斗(堀川) 次勝 佐藤 智紀(豊田)
三位 羽黒 樹晴(呉羽) 三位 佐藤 優澄(池多)
<五年生の部>
優勝 伊藤 博文(広田) 次勝 黒川 大誠(呉羽)
三位 久保 徹朗(豊田) 三位 中村 亮太(鵜坂)
<六年生の部>
優勝 木下 雅哉(鵜坂) 次勝 吉田 昌平(池多)
三位 鎌田 健太(広田) 三位 松井凛輝人(広田)
敢闘賞
渡辺・北山(東部) 鈴木(新庄) 三國谷・河端(鵜坂)
立泉・小川(呉羽) 藤澤・五十嵐(堀川)
午後七時四十五分 富山市花火大会が賑々しく境内に華をそへてをりました。
八月行事案内
万灯みたままつり 一日(土) 午前十時三十分
午前九時 第三十二回富山市少年相撲大会
午前十時 富山縣鎭靈神社例大祭
午前十時三十分 万灯みたままつり並びに
永代講大祭
午後七時 御神楽の夕べ
二日(日) 午前六時 青空のみの市
午前十時 永代祭
十五日(土) 午前七時 月次祭(朝粥神事)
午前八時 月次釜
午前九時 みおや祭
午前十時 永代祭
午前十一時四十五分 大詔奉戴記念祭
十七日(月)午前十一時 満蒙開拓団慰霊祭
二十三(日)~二十五日(火)
第十回 元服立山登拜
七月二十五日(土)午前九時より第二回廣徳塾(こうとくじゅく)を開催、近隣の小中学生や崇敬会員の子供たち十六名が参加しました。
廣徳塾は、富山藩第六代藩主 前田利與(としとも)公が風俗の矯正、士風の振起を目的として安永二年(一七七三)に創建した藩校「廣德館」より命名。富山縣護國神社では、昭和六十一年五月六日より平成九年十月六日まで凡そ毎月一回、「廣徳館講座」(通計第百二十二講)を開催してをり、その時は大人を対象にした勉強会でありましたが、より若い世代を対象にすることが重要だといふ宮司の考へにより、前回(三月二十七日)より続く開催であります。
藩校の時から大切に教へられてゐる「論語」を学ぶことを中心に据ゑて開催し、今回は、特に空き缶を利用して自分たちでお米を炊き、そのご飯をいただくことなども織り交ぜて開催、また富山県神社庁が主催する「第三十二回お宮さんを描く写生大会」に出品するための写生大会も併せて行ひました。
まず神社に集合後、手水舎にて手水の儀を行ひ本殿へ参進、正式参拜を齋行する中で國歌を斉唱し記念撮影、参集殿へ移動して開講しました。宮司の講話に続き、早速廣徳塾講座①を行ひ、前回同様、「とやま論語を楽しむ会」の青木順子先生を講師に迎へ、論語の素読を中心に行はれました。前回から続けて参加した三人はすでに暗記してゐるかのやうにすらすらと、また今回初めての参加者も次第に大きな声で素読をして、澄んだ声が境内中に響いてをりました。
続いて講座②では、空き缶を利用してお米を研ぎ、缶を二つ重ねて炊き上げ、そして神社で用意したカレーを自分たちで炊いたご飯にかけてみんなで食事しました。初めての食感に戸惑いながらも楽しさうに食べてをりました。そして、境内にて写生大会を実施、好きな場所を選んで描くやうにと伝へましたが、なぜかみんな大拜殿を中心に描いてをりました。
次回は、十二月二十六日(土)に開催する予定です。挙つて参加くださいますことをお待ち申し上げます。
手水をして参進 正式参拜
宮司挨拶 廣徳塾講座①「論語」
空き缶でお米を炊いてみやう 食事中
《叶(かな)ひともしび》
~皆様のともしびで神秘な夜を醸します~
本年の万灯みたままつりでは、「叶ひともしび」として大拜殿に新しい「みあかり」を灯して齋行いたします。
この「叶ひともしび」は、心願成就祈願祭を謹んで齋行いたし、八月一日「万灯みたままつり」、二日「青空のみの市」の二晩、大拝殿に献灯いたします。
申し込みは、大拜殿に設置してます記入所にてご記入下さい。
1.願ひごとを祈りを込めてお書き下さい
2.氏名は任意で記入して下さい
3.記入後は、箱の中へお納め下さい
<奉納料 壱阡円をお供へ下さい〉
皆様のともしびで境内を神秘な夜に醸したく存じます。
七月行事案内
一日(水) 午前九時 富山縣鎭靈神社(祖霊社)月次祭
午前十時 永代祭
五日(日) 午前六時 青空のみの市
十五日(水) 午前七時 月次祭(朝粥神事)
午前八時 月次釜
午前九時 みおや祭
午前十時 永代祭
十九日(日) 午前十時 永代祭
三十日(木) 午前九時 明治天皇祭
桃山御陵遥拝式
万灯みたままつり
八月一日(土) 午前十時三十分
午前九時 富山市少年相撲大会
午前十時 富山縣鎭靈神社例大祭
午前十時三十分 万灯みたままつり並びに永代講大祭
午後十九時 御神楽の夕べ
いでたちの舞
浦安の舞
みたまなごめの舞
六月三十日夏越(なごし)の祓(はらへ)(水無月祓)を齋行するにあたり、二十四日に茅の輪(ちのわ)をつくりました。
大祓(おおはらへ)は我々日本人の伝統的な考へ方に基づくもので、常に清らかな気持ちのままで日々の生活にいそしむやう、自らの心身の穢れ、そのほか、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓ひ清めることを目的としています。
古来六月、十二月の晦日に宮中で大祓が行はれてきました。中世以降、各神社で年中行事の一つとして普及し、現在では多くの神社の恒例式となつています。
六月の大祓を夏越(なごし)の祓ひと呼びます。
大祓詞(おおはらひのことば)を唱へ、人形(ひとがた・人の形に切つたた白紙)などを用ゐて、知らず知らずのうちについた半年間の穢れを祓ひ、無病息災を祈るため、茅(ちがや)や藁を束ねた茅の輪(ちのわ)を神前に立てて、「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶといふなり」などとと唱へ、茅の輪を三回くぐります。「茅の輪」くぐりは母親の胎内から生れることを象徴してをり、胎々(たいたい)くぐりとも言はれ、生れた赤児のやうに穢(けがれ)のない無垢な心の蘇りを意味する古来よりの大切な行事です。
茅の輪くぐり方
①先ずくぐりましたら左へ回転します。
②次にくぐりましたら右へ回転します。
③そしてもう一度くぐりましたら再び左へ回転してご神前へ進みご参拜下さい。
三十日午後三時より齋行します。ご参拜お待ち申し上げます。
梅雨入りしたものの雨はなかなか降りませんが、境内の紫陽花(あじさい)は満開となつてをります。ここに写真にて掲載します。
紫陽花
がく紫陽花
おたふく
アナベル 柏葉紫陽花
六月行事案内
一日(月) 午前九時 富山縣鎭靈神社(祖霊社)月次祭
七日(日) 午前六時 青空のみの市
午前十時 永代祭
十五日(月)午前七時 月次祭(朝粥神事)
午前八時 月次釜
午前九時 みおや祭
午前十時 永代祭
十七日(水)午後二時半 舞鶴特年会 慰靈顕彰祭
午後七時 浦安会「第二回勉強会」
三十日(火) 午後三時 夏越の大祓(茅の輪神事)
崇敬会青年部「浦安会」の第一回勉強会を五月十三日(水)午後七時より神社にて開催いたしました。
初めての勉強会は、内容を「遺芳館について」といたし、宮司が講師となり、遺芳館の建設に至るまでの経緯や展示されてます御英靈のことについて詳しく解説していただきました。
先ず始めに、遺芳館建設の契機となりました、昭和五十年までふたも開けずに大事にされてた白木の箱をお父さんがはじめて開き「高田豊志命」の遺集『歌集(うたにつき)』が中に納められてられていたところからはじまり、この『歌集』は、入校当初から遺集とすること(死ぬこと)を決意され八一三首の和歌や詩文が綴られてゐることや、特別攻撃隊として最後まで沈着冷静に散華されたことなど、息が詰まりながらも解説していただきました。一通り解説を終へてからの質疑応答では、日露戦争などの遺書が少ないのはなぜなのか等の質問があり、それは、大東亜戦争の特に特別攻撃隊が始まつてからは死を覚悟して出撃することになり、人は死を覚悟した時に何かを残すために、必然的に遺書が書かれるやうになつたからではないか、と教へていただきました。
研修後は、次回の日程や内容を検討し、第一回の勉強会が終了となりました。第二回は六月十七日(水)午後七時から行ひます。
平成二十一年五月八日(金)午後二時より富山縣護國神社崇敬会第三十二回総会を開催いたしました。
総会に先立ち、英靈顕彰祭並びに会員隆昌祈願祭を本殿にて齋行、祝詞奏上、「みたま慰めの舞」奉奏、玉串拜礼に続き國歌を斉唱しました。総会では、先づ物故会員の御靈に対し黙祷を捧げ、新田八朗会長挨拶に続き、御来賓御祝辞を長勢甚遠衆議院議員、五十嵐務日本会議富山地方議員連盟会長・富山県議会議員、野上浩太郎前参議院議員よりいただき、宮司謝辞の後、平成二十年度事業報告並び収支決算、平成二十一年度事業計画(案)並びに収支予算(案)等の議事が協議・承認されました。
総会に引続き、記念講演、演題『日本の教育について』、講師に山谷えり子参議院議員をお迎へして行はれました。山谷参議院議員は、教育に関して並ならぬご尽力をされてをりますが、ご講演ではその問題点などを判り易くお話しいただき、教育基本法が改正されたのを受けて改善されてきている現状を詳しく教へていただきました。会員からは、「教育があんなに歪められてゐることは、少しも知らなかつた。教育基本法が改められたと聞いたが、どこが問題であつたのか判りました」といつた感想があり、記念講演の意義が強く感じられました。山谷えり子参議院議員には、今後益々の御健勝と御活躍をご祈念申し上げ、崇敬会の益々の隆昌を願ひ報告と致します。
英靈顕彰祭並びに会員隆昌祈願祭
春季例大祭が四月二十五日午前十時より齋行されました。
当日は、夜明けより雨が降り出し大変足元の悪い天気になりましたが、例年と変はらず県内各地より多数の御参拜を賜りました。また祭典には、富山県神社庁の各支部・富山県神社庁雅楽部・富山県神道青年会より齋員としてご奉仕いただき、参向使として新田八朗崇敬総代会長、また富山県知事代理、梶敬信富山県議会議長、廣明研正富山県遺族会長をはじめ、責任役員、総代、各市町村遺族会、県議会議員、市議会議員、各戦友会、各町内会の方々が参列されました。
祭典に先立ち、三月三十日に発足しました崇敬会青年部「浦安会」会長以下会員による國旗掲揚を行ひ、祭典中には、富山いずみ高校二年生 山田真理恵さん・吉岡春香さんによる「浦安の舞」、富山県詩吟剣舞連盟 吟士 稲垣岳寿さん・剣士 清原天神龍さんによる詩吟剣舞 吟題 昭和天皇御製「立山の 」、また祭典終了後には、富山芸能奉仕会 松乃会の十名様による民謡「麦や節」が奉納されました。
本年も皆様方の御蔭をもちまして春季例大祭が滞りなく齋行されましたこと、衷心より厚く御礼申し上げます。ありがたうございました。
浦安会による國旗掲揚を行ひ参進
「浦安の舞」奉奏
「詩吟剣舞」奉納
宮司・参向使挨拶、知事、県議会議長のお言葉を賜り、祭典後に民謡「麦や節」奉納
午前九時より富山縣鎭靈神社春季祭が齋行されました
富山縣護國神社は、平成二十五年に創立百周年を迎へます。そこで、この創立百周年記念事業の一環として、かねてより『遺芳館』の前庭を『英靈の遺書、遺品』を展示している場所に相応しいものにしたいと考へてをり、このたび『平成の御庭』完成の運びとなりました。
御庭には、正に神々の縁ともいふべき春日大燈籠、門、庭石が奉納され、北陸では珍しい杉苔を敷き詰めた「苔」庭として、常に豊かな緑をたたへた空間となり、國のためにつくされた御英靈の御遺徳を偲ぶに足る御庭となりました。
より詳しい解説はこちらをクリックして下さい。
五月行事案内
一日(金) 午前九時 富山縣鎭靈神社月次祭
午前十時 永代祭
三日(日) 午前六時 青空のみの市
午前十時 永代祭
八日(金) 午後二時 崇敬会総会
午後三時 記念講演 演題『日本の教育について』
講師 参議院議員 山谷えり子氏
十五日(金) 午前七時 月次祭(朝粥神事)
午前八時 月次釜
午前九時 みおや祭
午前十時 永代祭
十七日(日) 北日本茶会
二十七日(火) 海軍記念日
午後一時 甲飛会靈霊顕彰祭
午後二時 雄飛会靈霊顕彰祭
夜間参拜では、多数のご参拝を賜りましてありがたうございました。
枝垂れ桜もあつといふ間に満開になりました。
昨日と今日の雨によりたくさん散つてしまいましたが、新しい若葉が艶やかに力を帯びてまゐりました。
枝垂れ桜にも若葉が顔を出し始めました。
本日四月九日(木)、夜桜ライトアップの試験点灯を行ひました。
いよいよ明日十日(金)から十二日(日)までの三日間、夜間参拜並びに夜間照明を実施いたします。
午後八時三十分まで拜殿の扉を開けてお待ちいたしてます。若桜花となりて散華された御英靈を偲び、夜桜を愛でていただければ幸ひです。
昼間もたくさんの方が参拜されてます
境内の桜(染井吉野)もほぼ満開になつてまゐりました。
今週末、十日(金)、十一日(土)、十二日(日)は、夜桜ライトアップを行ひます。
時間は、夜八時三十分までです。どうぞお誘ひ合はせいただき、境内の花々を愛でていただきたくご案内申し上げます。
尚、境内では、歩行禁煙・飲食禁止となつてをります。御協力下さいますやうお願ひ申し上げます。
大島桜(満開です)
しだれ桜はやうやくつぼみが膨らんでまゐりました
三月三十日午後六時より崇敬会青年部「浦安会」の設立総会を開催しました。
國のため尊い命を捧げられた二万八千六百七十九柱の英靈に一人でも多くの人にこころから感謝のまことを捧げてほしい、ただそのことだけを願つて宮司が切望してゐた青年部の設立をやうやく行ふことができました。
はじめに祈祷殿にて正式参拜を齋行し、参集殿にて設立総会を行ひました。宮司が謝辞を述べた後、自己紹介がなされ、次に協議にて先づ会則が承認され、そして初代役員が選任されました。そこで初代会長が議長となり事業計画(案)予算(案)が承認されました。初代役員は、会長に竹田達矢さん、副会長に森田一顕さん、監事に野原浩志さんと武内孝憲さん、理事に島田幸吉さんと竹川政範さんの六名でございます。少数ではございますが、会員相互の研鑽及び親睦を図るための勉強会や研修会を実施するとともに神社奉仕を通して日本精神を体得すべく事業の開催を目標に掲げ、総会が終了しました。
その後、場所を移して懇親会を開催。初めて顔を合はせたこともあり、それぞれの紹介や思ひが熱く語られ、あつといふ間に時間が過ぎてゆきました。
会員が増へ「浦安会」が活発な活動を展開されますことを願ひ、一人でも多くの方がご入会いただきますやう切にお願ひ申し上げます。入会ご希望の方はお気軽に、電話076-421-6957までご連絡下さい。
三月二十七日午前九時より、神社で勉強会「第一回 廣徳塾」を開催しました。
この廣徳塾(こうとくじゅく)は、富山藩校「廣徳館」に因み命名し、会場の参集殿には、富山大学名誉教授高瀬重雄先生(号 柊村)謹書の扁額を掲げて、講師に「とやま論語を楽しむ会」の青木順子(あおきよりこ)先生を迎へて五名の小学生とともに学びました。
はじめに社務所にて手水を行ひ祈祷殿にて勧學祭(かんがくさい)を齋行、参集殿に戻り廣徳塾講座①「論語」、②アニメ「学の夏休み」を行ひ午前十一時四十分に終了しました。
講座①「論語」では、先生について論語の素読をしました。子供たちの澄んだ声が参集殿に響き渡つてをりました。
次回の「廣徳塾」は夏休みの初めに開催を予定してをります。挙つて参加くださいますやうお願ひ申し上げます。
四月行事案内
一日(水) 午前九時 富山縣鎭靈神社月次祭
午前十時 永代祭
五日(日) 午前六時 青空のみの市
午前十時 永代祭
午前十一時 白鴎遺族会慰靈祭
十五日(水) 午前七時 月次祭(朝粥神事)
午前八時 月次釜
午前九時 みおや祭
午前十時 永代祭
二十四日(金) 午後四時 宵宮祭
二十五日(土) 午前九時 富山縣鎭靈神社春季祭
午前十時 春季例大祭
祭典中『浦安の舞』が舞はれます
奉仕者 富山県立いずみ高等学校一年生
山田眞理恵さん、吉岡春香さんのお二人です
我が日本國を護るため尊い命を捧げられた二万八千六百七十九柱の英靈にこころから感謝のまことをささげませう
どなたでも気軽におまゐり下さい
二十九日(水) 午前九時 昭和祭(植樹祭)
紅梅(こうばい)満開です 土佐水木(とさみずき)
山茱萸(さんしゅゆ)
寒緋桜(かんぴざくら) 寒緋桜と山茱萸
蜂須賀桜(はちすかさくら) 染井吉野(そめいよしの)もうすぐ咲きます
一日(日) 午前六時 青空のみの市
午前九時 富山縣鎭靈神社(祖霊社)月次祭
午前十時 永代祭
十日(火) 陸軍記念日
十五日(日) 午前七時 月次祭(朝粥神事)
午前八時 月次釜
午前九時 みおや祭
午前十時 永代祭
二十日(金) 午前九時 春季皇靈殿遥拜式
二月二十四日(火)午前十時、大沢野の坂本注連縄奉賛会(小川満会長)の皆さんより大注連縄が奉納されました。本殿の大注連縄は昨年末に奉納されてをり、今回は向拜にありますひと回り大きな注連縄であります。
午前十時より取り替への作業が始まり、約四十分かけて新しい注連縄が取付けられました。そして正式参拜を齋行、無事に奉納が終りました。坂本注連縄奉賛会の皆様、まことにありがたうございました。
大注連縄をくぐるとき、新しい藁のにおひが清々しいですよ。
國境の島・対馬の視察研修を平成二十一年二月四日(水)~六日(金)の二泊三日の行程で開催いたしました。
富山縣護國神社崇敬會と日本会議富山の共催で現況の視察を目的に十二名が参加しました。
一日目は、小松空港より福岡空港へ移動し、宗像大社・宮地嶽神社・筥崎宮へ参拜、そのまま福岡市内に泊まり、二日目に目的の対馬へ飛行機にて移動しました。
対馬やまねこ空港では、現地ガイドの小松津代志さんの出迎へを受け、バスにて対馬最北端の海栗(うに)島(韓国)展望所を目指し出発。小松さんは陸上自衛隊を退官後、対馬に移住し現在は対馬防衛協会事務局長をされてをり、我々は対馬の歴史から現在の状況に至るまで詳しく解説をいただきました。その小松さんの解説にて、海栗島(航空自衛隊基地の島)展望所・豊砲台跡・殿崎の日本海海戦記念碑(日露友好の丘)・海神神社・和多都美神社・万関橋・大船越番所慰霊碑・重砲兵連隊正門柱跡・竹敷の旧日本海軍要港部を視察後、対馬市厳原の宿泊地へ移動、三日目には、対馬藩お船江跡・野良遠見の旧陸軍墓地・対馬歴史民族資料館・万松院を廻り、鶏知の住吉神社を参拜して空路にて福岡を経由し帰つてまゐりました。
大陸を繋ぐ國境の『辺』であり日本海と東シナ海を結ぶ『要』である対馬は、『延喜式』より『辺要』と定められているほど古代から日本防衛線最前線にして戦略的要衝であります。しかしながら歴史上、本土から防人として手厚くされたり見捨てられたりを繰り返へされてきました。
今回の視察研修にて感じたことは、現在日本人の北方領土や竹島などの領土問題や離島についての意識低下の現況は、対馬が本土から見捨てられた時代と同様に思へて不甲斐無さが増すばかりでありました。北方領土返還要求はもとより、竹島や対馬、他の離島の重要性を認識し、國防意識を高めた上で、外交や交流はしていかなければならないのではないでせうか。
航空自衛隊海栗島分屯基地と豊砲台
海栗島の海洋40km離れたところに韓国の釜山があり、空気が澄んでいれば見えるさうです
日露友好の丘に立つレリーフ レリーフは高岡市の株式会社四津井 代表取締役社長 四津井宏至さんが製造・奉納されてをります
日本海海戦の碑は日露友好の丘・殿崎の地にあり、ここは撃沈されたロシア兵が上陸したところの一つで、農婦たちはこの敗残兵を泉へ連れて行き、そして民家へ分宿させるなど手厚くもてなしました。その碑には、東郷元帥揮毫『恩海義嶠』(めぐみのうみ、ぎはたかし)と書かれてをります また、ここより東の海原は、まさに日本海海戦の戦場であり、写真では解りにくいですがおよそその位置のみ、日光が射してをりました
海神(かいじん)神社(大変立派で大きな木造の御本殿でした)と和多都美(わたつみ)神社(安芸の宮島を彷彿されます鳥居が海上に聳えてをります)
万関(まんせき)橋より万関運河を浅茅(あそう)湾方面を望む
明治二年、日本海軍は浅茅湾から東水道に出動できるやうに万関瀬戸を開削され、翌年運河が開かれました
大船越番所慰霊碑
文久元年(一八六一年)ロシアの軍艦ポサドニック号が浅茅湾に停泊、自国軍の根拠地とするため不法占拠し二名を殺害(対馬事件)。幕府、対馬藩は武力で解決する力はなく、同じくアジア進出を目論んでいた欧州の英・仏の英の力を借りて解決となりました。
この対馬事件四月十二日、露人の船が番所を無理やり通過しやうとして百姓たちと衝突。露兵が発砲し、安村安五郎が即死、吉野数之助が捕らへられ乱暴な拷問を受け恥辱に我慢できずに舌を噛んで自害を図り、治療を拒み生命を絶つ。両氏は明治二十四年、戦死者の待遇を受け靖國神社に合祀され、その後慰霊碑が建立されました。碑には乃木大将揮毫『忠勇』(安村安五郎)『義烈』(吉野数之助)と書かれてあります
旧日本海軍要港部は現在一部が海上自衛隊対馬防備隊本部となつてをり、旧日本海軍が水雷艇の停泊地として開発された軍港部分は戦後真珠の養殖業者が購入し営まれてをりましたが、海水温の上昇によつて真珠の質が落ちて経営が困難になり、自衛隊・国や県へ用地の買収を打診しましたが頓挫され、結局韓国資本に買収されてリゾートホテルが建設されてをります。現況の中で一番危惧される場所であります。
海上自衛隊対馬防備隊本部と韓国資本リゾートホテルは僅か金網一枚でしか仕切られてをりません
旧日本海軍が水雷艇の停泊地として開発された軍港部分(リゾートホテル内)
この建造物は『土木学会』によれば近代土木遺産の「A」ランク(国指定重要文化財に相当)ださうです
天皇皇后両陛下は平成二年五月に長崎縣で開催された「全国植樹祭」に併せて真珠養殖場をご視察あそばされてをります。真珠の養殖業者が建てた行幸啓を記念する碑もリゾートホテルの敷地内でありました
対馬藩お船江跡と野良遠見 旧陸軍墓地(対馬警備隊の先人戦歿御英靈の墓地)
今回の対馬視察研修に御参加いただきました皆様、ガイドの小松津代志様、まことにありがたうございました。
また本記事をご覧いただきました皆様は是非、國防意識をさらに高めていただき、日本がよくなるやうにご尽力いただきますれば幸ひに存じ上げます。
紀元二六六九年 平成二十一年二月十一日午前十時より紀元祭を齋行いたしました。
神武天皇が御即位された日をお祝ひし、建國の偉業を偲び、我が國の彌榮(いやさか)を御参列いただきました皆様と共に祈念申し上げました。祭典では、宮司祝詞奏上の後、橿原神宮・宮崎神宮を遥拜、國歌斉唱、次に「浦安の舞」奉奏、池井雅楽優(いけい うたゆう)様によります筝曲「昭和松竹梅」の奉奏、富山県詩吟剣舞連盟 吟士 副会長 宇波千神(うなみ せんしん)様・剣士 副理事長 伊藤天水(いとう てんすい)様によります詩題「九月十三夜」上杉謙信作の奉納があり、玉串拜礼の後「紀元節」の奉祝歌を奉唱いたしました。
修祓の儀 浦安の舞
筝曲の奉奏 詩吟剣舞の奉納
たくさんの御奉納・御参列・祝電を賜り、まことにありがたうございました。
二月一日(日)午後二時より、節分祭を厳粛に齋行いたしました。
一般にいふ節分の日は、暦の上で大寒が去り、立春になる前日の特別な名称であり、翌日から一陽来福を祈るといふ考へから、清々しく立春を迎へるため、鳴弦(めいげん)の儀や豆まき、そして蟇目(ひきめ)の儀を行ひ、諸々の災害を祓ひ、又、家内安全・交通安全・学業成就等を祈念するため節分祭を齋行するのです。
当日は、先ず本殿にて修祓(しゅばつ)、献饌、祝詞奏上、次に宮司が鳴弦の儀を執り行ひ、玉串拜禮、撤饌の後、大拜殿に移動して蟇目の儀、大的略式を齋行、そして内拜殿に戻り豆打ち式を宮司、年男、年女の奉仕者により執り行はれ、約三百人の参拜者の方々が撒かれた豆をいただきました。
鳴弦の儀 栂野宮司 蟇目の儀 富山市弓道連盟 松岡了会長
蟇目の儀・大的略式は、県下で唯一、小笠原流に則つて執り行はれてをり、今回で第二十五回目の奉納であいます。大拜殿にて、富山市弓道連盟・富山県小笠原同門会・富山第一高校弓道部の総勢三十六名にて奉仕されました。
大的略式
蟇目の儀とは
天下の邪悪を祓ふ儀式で、用ゐる弓は相位弓(そういきゅう)と申し、藤が七五三にまいてあり、これは神前の「しめ縄」を意味してをります。矢は矢尻のない鏑矢で先端に穴があけてあり、放たれますと笛のやうに鳴り、神秘な響きを出して魔性、邪悪を祓ふのであります。
大的略式とは
大的式は、天下泰平・国家安泰・家内安全を祈つて的を射る、射礼の儀式であり、六人の射手によつて三十六本の矢が放たれます。これは三六五日をかたどり天地を祭るとされてをります。
御奉仕御協力いただきまことにありがたうございました。
天皇陛下御即位二十年奉祝富山縣民大会が一月三十一日午後一時三十分より富山国際会議場にて開催され、縣民五百人が天皇陛下御来縣の思ひ出を振り返りつつ御即位二十年の佳節をお祝ひ申し上げました。
第一部 式典では、張田真日本青年会議所北信越地区富山ブロック協議会会長が司会となり、高田眞(阪神容器株式会社 代表取締役会長)大会長が「天皇陛下のますますの御長寿と皇室の弥榮をお祈り申し上げます」と式辞を述べられ、石井隆一知事、四方正治縣議会議長、縣市長会長の森雅志富山市長、五本幸正縣市議会議長会長、長勢甚遠衆議院議員より奉祝の辞をいただきました。そして新田八朗富山経済同友会副代表幹事、桶屋良祐念法眞教教務総長、力示健蔵日本会議富山会長、五十嵐務日本会議富山地方議員連盟会長が奉祝の言葉を述べました。
引続き第二部 記念講演では、筑波大学の竹本忠雄名誉教授が「弓なして明(あか)る」日本―平成の大御代に生きる―と題して、御製や御歌をとおして天皇陛下や皇后陛下の大御心をわかりやすく御講演いただきました。
たくさんの皆様方に御協力御参集いただき、まことにありがたうございました。
行事案内
天皇陛下御即位二十年奉祝富山縣民大会
日 時 一月三十一日(土)午後一時三十分
会 場 富山国際会議場二階多目的会議室
入 場 どなたでも参加できます
引続き午後二時二十分より
記念講演
演題 「弓なして明(あか)る」日本
―平成の大御代に生きる―
岬みな 海照らさむと 点(とも)るとき
弓なして明る この国ならむ
皇后陛下御歌「海」 昭和五十二年
講師 筑波大学名誉教授 竹本 忠雄 氏
二月行事案内
一日(日) 午前六時 青空のみの市
午前九時 富山縣鎭靈神社(祖霊社)月次祭
午前十時 永代祭
午後二時 節分祭
鳴弦(めいげん)の儀、蟇目(ひきめ)の儀、大的略式(おおまと
りゃくしき)、豆打ちの儀を行ひます
蟇目の儀・大的略式は小笠原流に則つて執り行はれてをり今回で
弟二十六回目を迎へます
大拜殿にて富山市弓道連盟・富山県小笠原流同門会・富山第一高校
弓道部の総勢三十六名にて奉納されます
十一日(水) 午前十時 紀元祭
十五日(日) 午前七時 月次祭(朝粥神事)
午前八時 月次釜
午前九時 みおや祭
午前十時 永代祭
十七日(火) 午前十時 祈年祭
新年おめでたうございます。
本年は畏くも今上陛下が御即位されましてから二十年をお迎へになられます年であります。皇室の弥榮と國家の安寧、そして皆様方の益々の御健勝御繁榮をご祈念申し上げます。
また、一月三十一日(土)午後一時三十分より富山国際会議場二階におきまして、天皇陛下御即位二十年奉祝富山縣民大会が開催されます。筑波大学名誉教授 竹本 忠雄氏をお迎へいたし記念講演もございます。どなたでもご自由に参加できます。たくさんの皆様とお祝ひいたしたく存じますので、挙つてご参加くださいますやうお願ひ申し上げます。
それでは年末年始の神社の写真をここに掲載いたします。
大祓式
除夜祭(富山縣護國神社・富山縣鎭靈神社)