御英靈のお話5 枝幹二 命
昭和二十年六月六日
沖縄洋上にて特攻戦死
陸軍特別操縦見習士官
富山市鹿島町二十三歳
遺芳館アナウンスガイド5
枝 幹二命(えだ かんじのみこと)
陸軍少尉 早稲田大学出身 特別操縦見習士官
第一六五振武隊 昭和二十年六月六日
沖縄周辺洋上・特攻戰死
二十三歳
富山聯隊区司令部に赴任してゐた父、枝後城(しつき)大佐、母タツさんの間に一男六女の四番目として生まれました。早稲田大学在学中、富山聯隊東部第四十八部隊に入隊。
昭和十九年二月、志願して特別操縦見習士官に合格し、二十年三月に特攻志願、五月に三重県の明野教導飛行師団司令部附第一六五振武隊に配属されました。
六月六日、第一六五振武隊の隊長代理として鹿児島県の知覧基地を飛び立ち、沖縄近海洋上で特攻戰死されました。
(六月五日)
あんまり緑が美しい 今日これから
死に行くことすら 忘れてしまひさうだ
青空な空 ぽかんと浮かぶ白い雲
六月のチランは もうセミの声がして
夏を思はせる
(作戰命令を待つてゐる間に)
〝小鳥の声がたのしさう 俺もこんどは 小鳥になるよ〟
日のあたる草の上に ねころんで
杉本がこんなことを 云つてゐる
笑はせるな
本日一四、五五分 いよ〱知ランを離陸する
なつかしの 祖国よ さらば
使ひなれた 万年筆を 〝かたみ〟に送ります。
枝幹二命が最後の書を書かれた万年筆。早稲田大学時代文学青年と言はれ、知覧の基地においても、少年飛行兵から兄のやうに慕はれ、多くの詩文を残してをられます。展示の万年筆は、形見としてとして送られたものであり、戰後一番末の妹さんが大切に保持してをられたものである。遺芳館建設には快く奉納されたものもであります。